走り屋ギタリスト・リアルドリフト侍ことマシンXのドリフト&ギター血風録 -3ページ目

自作小説「東京人情タクシー〜お近くでもどうぞ〜」第2話・淡い恋と濃い緑~お台場海浜公園編~

時は5月の初夏。
桜の花が散り、並木道や公園も緑一面に変わっていく中、ゴールデンウィークも過ぎ、人の行き交いも元に戻った週末の土曜日、休日にも関わらず米井のタクシーは早朝から多忙を極めていた。
まず、予約客のいる都内のホテルから羽田空港、そのすぐ後には羽田空港から虎ノ門、そして今度は虎ノ門から代々木公園までと、それぞれ途切れることなく乗客を乗せた後、やっと一段落したところで近くのレストランで昼飯を済ませ、代々木公園の駐車場に停めていた車に乗り込むところであった。その時、停めていた車の後ろから、若い女性がやってきて「すみません、お願いしてもいいですか」と米井に尋ねる。
「ああ、どうぞどうぞ。少々お待ちください」と女性客に気がついた米井は運転席に乗り込むと直ぐに車のドアを開けた。
そして乗ってきた女性の乗客は「お台場海浜公園まで行って下さい」と行き先を告げる。米井は代々木公園の駐車場から車を出発させた。


車はそのまま井の頭通りを南に進み、代々木公園の交番の前で左折して幹線道路に入る。代々木公園を貫く幹線道路の両端には、そよ風になびく公園の新緑が、初夏の風情を感じさせていた。
原宿にさしかかると、米井のタクシーの乗務員証をおもむろに見た女性の乗客は「あら、米井君、すごい久しぶりじゃない」と声をかけた。
「…? おう、これはこれは。島本美嘉さんでは。しばらくぶりだったな」
バックミラー越しに乗客の顔をよく見た米井は、すぐに乗客の顔を思い出した。乗ってきた女性の乗客は、米井の中学時代の同級生・島本美嘉であった。
「あなたがまさか個人タクシーの運転手だなんて、ずいぶん出世したじゃない」
「別にそんなことはないが。個人タクシーを始めてから、まだ3年しか経ってない」
「米井君は昔から車好きで運転するのも好きだったもんね。とうとう天職についちゃったと思うと羨ましいわ」
「そりゃあどうも。そう言ってくれればこっちもドライバー冥利に尽きるものだ」
米井と島本は、自分の成人式以来の久しぶりの再会に何故か会話が弾んでいた。
「それにしても美嘉と会うのも成人式以来だから、もう10年以上経つか。早いものだな。ところで、美嘉のほうは仕事は何やってるんだい」
「私は普通に会社のOLやってたんだけどね。大学を卒業して、新宿のとあるオフィスで働いていたの。でも、先週退職したばかりなのよ」
「そりゃあまたどうして。いや、まあ、いろいろあったんだろうよ。人の事情ってのは、いつどうなるかもわからないんだから」
島本とのそんな昔の話を懐かしみながら、米井は車を走らせていく。車は表参道の交差点で左折して、青山通りを北に進んでいく。ほぼ一直線の幹線道路をモダンなオフィスビルで挟み、点在する並木がアクセントのカラフルな町並みは、休日とあって多くの人で賑わっていた。そして外苑前、青山を順番に過ぎて、車は赤坂見附で右折する。連立する高層ビは徐々に高くなっていき、日射しの強かった太陽がビルの影に隠れていく。それと同時に道路一帯が混み始めてきて、車の流れが徐々に遅くなっていった。


混雑してきた道路を走りながら、米井は中学時代の事を思い出していた。
米井と島本は、千葉県の酒々井町で生まれ育った。彼らの地元は東京のベッドタウンとも言うべき場所ではあったが、都心部ほど賑やかなほどではなかったので、やはり田舎の風情は確実に残っている。
実は米井と島本にとっては2人はお互いに初恋の相手でもあり、あるきっかけから交際していた恋人同士であった。
2人が付き合う前は、しょっちゅう喧嘩をしていた。しかし、島本がある時に同級生からいじめられているのを見て、米井はなんともかわいそうに思ったのだろう。彼女が給食当番で片付ける食器を同級生から大量に押し付けられた時には、米井はそのほとんどを運ぶのを手伝った。また、島本が一人ぼっちで寂しがっている時には、同じく一人でいることの多い米井は、いつも少し離れて側で佇んでいた。そんな事をしているうちに、いつしか2人は大きな喧嘩をすることも無くなり、気がついたら自然と交際に発展していったのである。
しかし、お互いの進路が決まった卒業式直前には、クラスの周りからひどく冷やかしを受けるようになり、卒業式の後にもお互いに何も言えないまま、結局別れる事になった。
それから後、2人は地元の成人式の実行委員として再会する事になったのだが、別れてから5年も経っていた事もあり、結局、この時もお互いに何も言えないまま、よりを戻すことは無く成人式を迎えた。


車は虎ノ門で右折して国道1号を南に走る。そのまま南へ進んでいくと、左手には東京タワーが近づいてきた。東京タワーを過ぎて、車の流れが止まりだしたのを見て、米井は「少し急ぐか」と、車線を右に変える。そして車はそのまま近くの芝公園ランプから首都高速に入った。
都心環状線の内回りを進み、浜崎橋ジャンクションを右に進む。そして、芝浦ジャンクションを左に進むと、レインボーブリッジが近づいてきた。レインボーブリッジから見渡すお台場の絶景と海とのコントラストは、公園の自然とはまた違った風情を感じさせていた。
車はそのままレインボーブリッジを渡ると、台場ランプで首都高速を降りる。そして間もなく、車はお台場海浜公園に到着した時には、既に日が沈み始めていた。
島本は料金を払うと、「今日はこれからまだ時間ある?」と米井に尋ねてきた。
本当なら仕事に戻ろうかと思っていたが「折角の休日の再会だし、まあいいか」と、米井は2つ返事でOKした。


海浜公園の駐車場に車を停めて、2人は夕暮れの海浜公園を歩いていた。
レインボーブリッジの見えるベンチで立ち止まり、米井は10数年越しの再会で、島本には何から話そうかと考えていた。そしてしばらく考えてから、おもむろに彼女にこう話し始めた。
「美嘉、中学時代の事、覚えてるよな。俺らがまだ付き合ってた時の事」
「うん。今でも覚えてるよ。わたしだって、あの頃の事、忘れるわけないもの」
「そうか。それなら良かった。付き合う前はしょっちゅう喧嘩ばかりしてたな。お互いにいがみ合うと、本心もなかなかさらけ出せなかったが、 美嘉が周りからいじめられてるのを見ると、さすがに俺も放っておけなかった。何だか本心を出すのも凄く恥ずかしかったが。結局俺達が自然と付き合うようになっても、今思うとこんな話をするのも凄く照れくさいが、卒業から大分経ってしまったが、その前に何も言えないまま別れてしまった事は、今でも後悔している。本当にすまなかった」
「そんな…わざわざありがとう。私こそ、あの時はよく米井君と喧嘩してたけど、その後に米井君が優しくしてくれた事が、何だかキュンとなっちゃった。凄く嬉しかったの。でもね、そうやって話すのはもの凄く恥ずかしかった。自然と米井君と付き合っても、あの時になかなかその事だけは素直に言えなくて。私の方こそ、何も言えなくてごめんなさい 」
10数年越しに、お互い伝えられなかった事。それが今、こうして双方から伝え合う事ができた喜びは、米井や島本にとっても感無量だったのだろう。そして、島本が話を続ける。
「実は私、結婚して沖縄に引っ越すの。明日、羽田空港からの飛行機で。その前に、東京観光を1人で楽しんでおきたかったの。それに、米井君にはいつか伝えたかったと思いながら、こうして偶然再会できて伝えられて本当に良かった」
公園から夕暮れの海を眺めながら振り向きもせず、米井は島本の話を黙って聞いていた。彼女の話を聞いている間に、中学時代の出来事が走馬灯の如くよみがえる。その時の出来事から始まった物語が、今こうして終わりを告げようとしていた。あの時の出来事は一体何だったのだろう。そんな複雑な思いを抱えながら…。
そして、島本の話が終わってしばらくしてから、米井は口を開いた。
「そうか。まあ、10数年も前の話だし、いつかはこの日が来るとは思っていたが。でも、結婚する前に話してくれたのは本当に嬉しかった。美嘉、改めて結婚、本当におめでとう。幸せにな」
米井の顔は涙もなく、いつしか笑顔になっていた。それを見た彼女の目には涙が溢れ、いつしかこらえきれずに米井に抱きついて泣き出していた。
それに気づいた米井は、島本の肩をポンポンと叩きながら、
「何を泣いてるんだよ。こんなめでたい話なんてないじゃないか。友達としてはもっと早く教えて欲しかったな。よし、今夜はお祝いに近くのレストランでごちそうしてやろう」
そう言って、海浜公園近くのレストランに島本を連れていき、一足遅めの彼女の結婚祝いのディナーを2人で楽しんだのだった。


翌朝、東京都港区内のホテル。

ホテルのタクシー乗り場に、スーパーサインを貸切車表示にした米井のタクシーが停まっていた。


そしてしばらく後、島本が旅行カバンを手にチェックアウトしてホテルから出てきた。
米井は島本の旅行カバンをトランクに積み込むと、島本を車に乗せ、スーパーサインを自家使用表示にして、ホテルを出発した。
目的地は羽田空港。昨日と同じく、芝公園ランプから首都高速に乗り、レインボーブリッジを渡る。そして有明ジャンクションから右手に進み、車は湾岸線の西行きに入った。
まるで別れを惜しむかのように、2人の会話は一切ないままだった。重苦しい雰囲気の中、米井は自ら会話を切り出そうとしたが、島本が眠っているのを見ると、軽く咳払いをして、再び運転に集中する。
その間、車は東京港トンネル、大井、空港北トンネルを通過し、空港中央ランプで首都高速を降りた。
羽田空港の第2ターミナルの駐車場に車を停めて、米井は寝ていた島本を起こす。島本は車から降りるなりあくびをしながら背伸びしていた。
その間、トランクから島本の旅行カバンを降ろした米井もまた、直後にあくびをしながら車に鍵をかけた。


ターミナルへの連絡通路を渡り、2人はターミナルビル最上階の展望台で遅めの朝食をとる。
そして、 島本が搭乗チェックインを済ませて旅行カバンを預けると、 いよいよ島本が沖縄に旅立つ時が来た。
彼女が旅立つ前に、米井はある物を島本に手渡した。
中に入っていたのは、2人の地元である酒々井町の造り酒屋で売っていたペアグラスだった。それは、米井が島本の結婚祝いと餞別を兼ねてと、大分前に知り合いからもらって家にしまってあったのを用意してきたのである。
そして米井が「旦那によろしく伝えておいてくれ」と一言告げると、島本は「本当にありがとう。元気でね」と挨拶をし、笑顔で米井に手を振りながら、手荷物検査場の奥へと消えていく。
米井もまた、笑顔で島本に手を振り返しながら、手荷物検査場の奥へと消えていく彼女の姿を見送った。


その夜、米井は、福井と都内の定食屋で晩飯を食べながら、今回の出来事を手土産に雑談していた。
「なるほど。それにしても、昔の初恋は、やっぱり切ないものだねぇ」
「まあ、まだ若いとは言われても10数年も前の話ですし。とうに昔の話をしようとしても、大抵は話せずに終わってしまいますからね」
「でも、なかなか伝えられなかった事をそうやって伝えられたのは立派だよ。米井君が今でもそうやって青春しているのが、こっちも何だか羨ましくなってきたな。お陰でうちの女房も恋しくなってしまったよ」
「いやー、それは全くもってごちそうさまです」
「またそんなこと言って、米井君もそろそろ早く嫁さんを見つけないと、これから先苦労するぞー」
「やめてくださいよー。そんな事言われると一生嫁が来なくなります」
いつしか定食屋には、そんな2人の笑い声が響き渡っている。外では初夏の暗闇を照らす街の灯りと月の灯りが、新緑の木々と駐車場に停まっている2台の車を照らしていた。




「東京人情タクシー〜お近くでもどうぞ〜」第2話・淡い恋と濃い緑:完

自作小説「東京人情タクシー〜お近くでもどうぞ〜」主要登場人物

小説「東京人情タクシー〜お近くでもどうぞ〜」  登場人物


主人公及びタクシーの同業者仲間・関係者、主人公(米井家)の家族》


・米井 豊(よねい ゆたか)

主人公の東京の個人タクシードライバー。元々はあるタクシー会社のドライバーで、30代の若さながら会社内でも半ば伝説的なドライバーだったが、ある出来事に巻き込まれ、自らその責任をとる形で退職し個人タクシーに転身する。現在は個人タクシードライバーとして東京の各地を走り回っている。
独身だったが、3話で幼馴染みの秋田恵未と同窓会で再会し、後に結婚、その半年後に息子が誕生し父親になる。他は父、母、弟の4人の計7人家族である。母親は認知症を患っている。
多趣味であり、バンド活動や車など様々な業界にも利く顔を持っている。
営業車両は日産・スカイライン 400R(13代目・V37型)。


・福井 輝雄(ふくい てるお)

米井と同じ個人タクシー組合に所属するドライバーで米井の大先輩。
米井とは元々趣味仲間で、米井がタクシードライバーの道を歩むきっかけを作った人物でもある。
当時タクシー会社勤務だった頃に米井を新人ドライバーとしてスカウトした。また、彼が会社を退職した後に個人タクシーに転身する際にもいろいろと世話をしてくれた恩人でもあり、現在も同業者仲間として米井を助けてくれる、米井の良き相談相手であり理解者である一方、米井や下畑と同じく、居酒屋「エバチャン」の常連客の一人でもある
営業車両はトヨタ・マークX 250G(GRX120型)。


・米井 恵未(よねい えみ)(旧姓:秋田(あきた))

米井の妻で幼馴染み。幼少時より米井にずっと想いを寄せており、3話の同窓会で米井と再会した後、ドライブデートで告白するも、逆に米井からプロポーズを受け、米井と結婚。半年後に息子を出産する。
前職は建築士で、結婚後は専業主婦だが、たまに地元の同級生の建築事務所をパートで手伝っており、その腕を生かして後に自らマイホームを設計する。
趣味はカラオケで、たまにクラブやライブハウスで歌を歌っている。
どんな状況でも家族を大切にする良妻賢母で、米井には必ず弁当を作っている。


・武田 進(たけだ すすむ)

米井や福井と同じ個人タクシー組合に所属するベテランの個人タクシードライバー。米井にとっては同業者の先輩の一人で仲が良く、福井とは同時期に個人タクシーを開業した盟友。米井、福井と共に居酒屋「エバチャン」の常連客でもある。
営業車両はトヨタ・クラウン アスリートG ハイブリッド(14代目・ARS210型)。


《米井家の隣人、居酒屋「エバチャン」、笠屋家》


・笠屋 江波(かさや えば)

米井家の近所にある米井夫妻や櫻田の行きつけの沖縄料理店「エバチャン」のマスター。沖縄出身の両親、看板娘の2人の妹と共にマスターとして店を切り盛りしている。ワイルドな風貌とおおらかな人柄で、地元でも1.2を争う酒豪でもある。米井夫妻とは小中学時代の先輩にあたる。店の客の送迎でよく米井や福井、武田のタクシーに迎車を依頼する。


・笠屋 弓香(かさや ゆみか)

江波の上の妹で、笠屋家の長女。米井夫妻とは小中学校の同級生。恵未とは親友で、妹の由枝も入れて3人で都心部によく一緒に買い物に出掛けているが、兄や妹と同じく酒豪であり、よく買い物の後に飲んで酔いつぶれて米井のタクシーで帰ってくる事がしばしばある。


・笠屋 由枝(かさや よしえ)

笠屋家の次女で三兄妹の末っ子。米井夫妻とは小中学時代の後輩にあたり、米井の弟とは同級生。兄や姉同様酒豪である他に甘い物が大好物で、店で出す日替わりのデザートは全て彼女の手作りである。



自作小説「東京人情タクシー〜お近くでもどうぞ〜」第1話・過去と現実~多摩川編

東京…そこは日本の中心部であり、大動脈であり、眠らない街。
都会とも呼ばれるその場所は、様々な人間、人情が重なる。


そんな東京の夜の町並みを、1台のタクシーが走っていた…。

3月も半ばをとうに過ぎた金曜日の夜。

そのタクシーは、東京駅の丸の内南口に止まり、乗客を降ろした後、タクシー乗り場で1台のタクシーの後につけて止まる。そしてタクシーの運転席から降りてきたのはこのタクシーのドライバー、米井豊である。


前のタクシーからも運転席からドライバーの福井輝雄が降りてきた。


「福井さん、しばらくでした」


そう言って、米井は先ほどの乗客を乗せる前に買ってきた缶コーヒーの1本を手渡した。
「米井君、お疲れさん。偶然だな、どうしたんだい」

「いや、ちょうど今、お台場から東京駅までお客さんを乗せてきたんですよ。これから新幹線で名古屋に帰るんだけど時間に間に合わないというから。いつもなら福井さんも東京駅を客待ちの拠点にしているとはいえ、なかなか遭遇しませんからね」


「まあ、私も君も忙しいようだからね。なんせ長距離だと、なかなか時間帯が合わないですれ違う事も多いし」

「いやいや、忙しいなんて。これもある意味福井さんのお陰ですよ」


「ああ、そう?そこまで言われるとなんだか照れくさいな」
タクシーの外で2人は笑って缶コーヒーを飲みながらそんな雑談をしていた。福井は昔、米井をタクシードライバーとしてスカウトし、米井を個人タクシーに転身させるのにも一役買っていた。福井は米井にとっては同業者の先輩であり恩人でもある。


2人がしばらく雑談をしていると、乗客が集まり始めてきた。そしてお互いに「それじゃ、また」と挨拶をした後、1組の乗客が前にいた福井のタクシーに乗り込み、福井のタクシーはそのまま出発した。


そして、米井のタクシーに1人の乗客が乗ってきた。いかにも普通の中年のサラリーマンだったが、その乗客は
「少し遠くなるんですが、世田谷区の多摩川の河川敷まで行ってもらえますか?」
と行き先を告げた。
米井はこの時、「こんな夜に何故多摩川の河川敷なんだろう?」と不思議に思いながらも、「かしこまりました」と一言返事をして、車を出発させた。


車を走らせ始めてからしばらくして、米井が乗客に声をかけた。
「お客さん、こんな夜に多摩川の河川敷とは、珍しいですね」
「あ、いや、別に怪しい訳じゃありませんよ。逆に誤解してすいません。確かにこの時間に多摩川なんて、なんだか不気味だと思われますよね」
「いやいや、別にそんな事は気にしてませんよ。かえって変な事聞いてしまいまして申し訳ありません」
「いや、いいんです。逆に僕には大事な事ですから」
「それは良かった。安心しました」

乗客と笑いながらそんな会話をしつつ、米井は車を多摩川に向けて走らせていた。皇居を右手に見ながら日比谷交差点んを通り、国会前の交差点で左に曲がる。そこから、七分咲きの桜並木が連なる霞ヶ関、六本木通りを通っていく。桜の花はつぼみも大分ほころび始め、間もなく満開を迎えようとしていた。その桜並木を過ぎ、渋谷にさしかかったところで、乗客がこう語り始めた。


「実は今日は、私の友人で幼なじみの命日なんです。亡くなってもう3年になるんですが、元々僕と幼なじみの彼は多摩川の近くで生まれ育ったので、彼と一緒に多摩川で遊んだ事は今でも忘れる事はありません。とはいえ、今はそこから引っ越してしまいましたが。中学を卒業してからお互いそれぞれの道を進みましたが、それでも定期的に会っては飲みに行ったり遊んだりして懐かしんでいました。ですが、3年前に、タクシーに乗っている時に突然の急病で亡くなりました」
「そうだったんですか。それで毎年のお友達の御命日には、こうして多摩川に足をお運びになられてるんですね」
「ええ。今日は仕事で遅くなったので、結局こんな時間になってしまいました」
「なるほど。しかしながらそれでも忘れず行かれてらっしゃるのは本当に素晴らしい事だと思います。自分なんて、大抵は直ぐに忘れてしまうのに」
「ありがとうございます。そう言ってくれると彼も喜びます」
「まあ自分にも友人はいるんですが、ほとんど悪友ばっかりですよ。大抵はよくお互い一緒にイタズラしてばかりですが。でも、お友達のお話を聞いているとこちらもありがたい気持ちになります」


米井にはこの時、自分の3年前の出来事が頭によぎっていた。
3年前、米井がタクシー会社勤務のドライバーだった頃に、ある乗客が突然急病にかかり、そこから直ぐに病院まで車を走らせた。わざわざ病院の救急外来で窓口に頼み込んで、ようやく乗客を病院に運び込んだが、残念な事にそれから数時間後に息を引き取ったのである。
それから数日後、タクシー会社からこの件に関しての調査が行われた。会社からはお咎めを受ける事になったものの、緊急事態だった事などもあり処分は免れたが、これをきっかけとして1週間後にタクシー会社を退職して、今の個人タクシーに転身したのであった。米井は乗客との会話からそんな3年前の出来事を思い出していた。


乗客との会話が続いている間に、池尻、三軒茶屋を過ぎてからしばらくして、間もなく多摩川が近づいてくる。そして橋を渡る手前で幹線道路を左折して多摩堤通りを走り、米井は道路が多摩川に面してきたところで車を停める。
車から降りる前に乗客はこう告げた。
「運転手さん、また東京駅に帰りますので、しばらく待っててもらえますか?」
「いいですよ。ここで停まってますので、また帰る際に来てください」
米井はそう言ってドアを開けた。乗客は車から降りるとそのまま多摩川の川岸に向かって歩いていった。米井は近くでUターンして、多摩川を左手にハザードを点滅させて車を停めた。


停めた車の外で、米井はぼんやりしながら自分の3年前の出来事を思い返していた。かつて3年前の乗客が急病にかかった時に決死の覚悟で病院まで走らせながらも、結局その乗客の命は助からなかった。でも自分のこういう行動には後悔はしていない。しかし果たしてこれで良かったのか。もし命が助かっていれば決してもっと後悔することが無かったはずなのに…と…。


しばらくして、乗客が川岸から戻ってきた。米井は「お帰りなさい」と一言声をかけてドアを開けた。
「お待たせしてすみませんでした。お陰で今年も彼の命日に生まれ育った思い出の地に来ることができてほっとしています。これで心置きなく安心して家に帰る事ができます。家内には遅くなる事を伝えているので」
「いえいえ、今年も無事に来れて良かったですね。こちらもそのお手伝いができたのは何よりです」
米井はそう答えながらドアを閉め、再び東京駅に向けて車を出発させた。
行くときに走ってきた道をまた戻りながら、米井は自分の3年前の出来事を思い出すように乗客にこう話し始めた。
「偶然なのかはわかりませんが、実は3年前、自分がまだ法人タクシーの運転手をやってた頃に、あるお客さんを乗せて走っている時にお客さんが急病にかかってしまい、それに気がついて、自分は無我夢中で病院まで車を走らせました。病院に着いた時にも救急外来の窓口に頼み込んで何とかお客さんを病院に運び込んだものの、残念ながらお亡くなりになりました。その後会社の人間からはその事でお咎めを受けまして、自分はこの事でこれ以上会社に迷惑はかけまいと、退職して今の個人タクシーをやっています。それ自体は全く後悔はしていません。ですが、その事を忘れない為にも、いつかその亡くなられたお客さんのご家族、あるいはお友達の方々が偶然でも乗った時には、何かこちらも追悼のお手伝いができれば、とは思っていました。もしかしたら、これでそのお手伝いができたのかなと」
そんな米井の話を聞いた乗客の目は、いつしか涙でいっぱいになっていた。それをバックミラー越しに見た米井はそれ以上話を続けずに口を閉ざした。もしかしたら、乗客の幼なじみの友人は3年前に自分が病院まで運んだ急病の乗客だったのかもしれない。そう思ったのだろう。
そして、それが後になって現実である事を知ったのは、乗客を降ろす直前での話なのだが…。


やがて車は、最初に乗客を乗せた東京駅の丸の内中央口に到着した。
乗客は料金を支払いながらこうお礼を言った。
「本当にどうもありがとうございました。また今年も大事な友の命日に生まれ育った場所に行く事ができました。しかも、今年は偶然にも彼の最期を見届けてくれた運転手の方にも出会えたのですから。3年目の今年は、本当に忘れられない命日になりました。もしかしたら、彼も本当に喜んでいると思います」
「いえいえこちらこそ。偶然とはいえ、お陰でこちらも3年前の出来事へのわだかまりも無くなりました。これがせめてもの恩返しになったのならば、こちらとしても冥利に尽きるものです。こちらこそ、本当にありがとうございました。どうぞ、お気をつけて…」
米井はまさかとは思ったものの、お礼を言った乗客にそう答えた。そして、お忘れ物のないように、と米井が声をかけた後、笑顔で乗客は米井に一礼をして東京駅の人混みの中に消えていった。


運転席で料金を数えて運行日誌を書いていると、いつの間にか側にあった茶色の封筒を見つけた。
封筒の中には、現金2万円と、「ありがとうございました」と書かれた手紙が入っていた。おそらくさっきの乗客が気づかれないようこっそり置いていった心付けだったのだろう。

「今度福井さんを飲みに誘うついでに、いい報告ができそうだな」


そう思いながら、チップとしてありがたく頂戴するか、と、米井はその封筒を上着のポケットにしまったのだった。
そして、その後に来た別の乗客を乗せて東京駅を出発し、タクシーはまた、七分咲きの桜並木の連なる都心部の車の流れに消えていった。




「東京人情タクシー〜お近くでもどうぞ〜」第1話・過去と現実:完