走り屋ギタリスト・リアルドリフト侍ことマシンXのドリフト&ギター血風録 -2ページ目

自作小説「東京人情タクシー〜お近くでもどうぞ〜」第5話・小さな命と天の川~新宿・四ツ谷・下北沢編

梅雨も明けた7月6日の七夕前夜。
この日、米井のタクシーは新宿駅の西口で拾ったばかりの年配の女性客を乗せて四ツ谷を走っていた。
「そういえば明日は七夕ですね。明日は私は生まれたばかりの初孫に会いに行くんですが、運転手さんはもうお子さんはいらっしゃるんですか?」
「いや、つい先日結婚したばかりでまだ子供はいないんです。しかし、七夕前に初めてのお孫さんがお生まれになるとは。素敵な出来事じゃありませんか」
「ありがとうございます。子供や孫と一緒に天の川を見れるなんて、こんな嬉しい事はありませんから」
「なるほど。彦星と織姫が七夕前に授けてくれた小さな命…という訳ですか」
「あらお上手ですね。今年の夏は記念すべきものになりそうです」
「いやいや、本当に素敵な出来事ですね」
そんな会話をしているうち、タクシーは目的地の帝国ホテルに到着した。
米井は料金を精算して客を下ろし、運行日誌を書いた後、車の窓から夜の空を眺めつつ、明日の七夕はいいことがありそうだな、と思いながら、帝国ホテルを出発し、再び流し営業で車を走らせていく。
日付が変わった深夜に自宅に帰ってきた米井は、恵未が寝る前に作っておいた晩飯を一人で食べながら、そろそろうちも子供が欲しいなと思いつつも、まあ焦らず流れに任せようと、ぼんやり考えていた。


翌日、米井と恵未は2人で遅い朝食をとっていると、恵未から突然こんな話が出た。
「ねえゆうくん、そろそろ私達も子供が欲しいんだけど、子供作らない?」
恵未のこの爆弾発言とも言える話に、米井は思わず飲んでいたお茶を吹いてしまった。
「ゴホッ!なんだよ突然。朝からそんな話しなくても…七夕の爆弾発言かい」
「だって昨日の夜に言いそびれちゃったんだもの。いや、実は私の専門学校時代の友達に子供が生まれて、その友達の所に昨日お祝いに行ってきたの。女の子だったんだけど、凄く可愛いの。それで、そろそろ恵未の所にも子供がいていいんじゃない?って聞かれちゃって」
あっけらかんとした表情で米井は恵未の話を聞いていた。昨日乗せた客の初孫の話といい、恵未の友達に子供が生まれた話といい、米井自身も子供が欲しいと思った話も、偶然とはいえどまんざらでも無かったようである。
「ねえゆうくん、そろそろ私達も子供作りましょ?」
そんな恵未の言葉が米井にはあまりにも恥ずかしかったのか、米井は恵未の話をはぐらかしつつ、そろそろ営業に行くかとそそくさと支度をして自宅を出発した。


この日は無線での予約が入っていた迎車の客を町屋まで迎えに行き、そこから目的地の羽田空港へ向かった。そしてその客と入れ替わる形で羽田空港でも客を拾い、そこから目的地の帝国ホテルに向かう。そしてさらに帝国ホテルで客を下ろすと、入れ替わる形で今度は昨晩乗せた年配の女性客を乗せ、目的地の世田谷の下北沢まで向かった。


下北沢まで向かう道中、年配の女性客はこう話した。
「まさか昨日の運転手さんに子供のいる下北沢まで送ってもらえるなんて。偶然とはいえありがたいです」
「いやいや、偶然とも思えませんね。実は今朝、出発する直前に女房からそろそろ子供欲しいなんていきなり言われてしまって。ここ最近はどうも子供の話に縁があるみたいです」
米井と女性客はいつしかそんな笑いながらの会話を弾ませていた。そんな中、車は目的地の下北沢の一軒家に到着した。一軒家の前では、若い夫婦が赤子を抱きかかえて女性客を待っていた。
「ありがとうございました。お陰でこの先もいいことがありそうな気がします。運転手さんにも、いつか子供さんのいる生活やいいことが来ますように」
料金を精算して客を下ろす際、女性客からそんな言葉を告げられた。米井は何度も女性客にお礼を言い、タクシーは下北沢の一軒家を後にした。


都心部に帰る途中で、米井は不自然に歩道で休んでいる妊婦の側で手を振る男性を見つけてすぐに車を止めた。
ドアを開けるなり男性はこう叫んだ。
「妊娠中の妻が急に具合悪くなったんです。どこか最寄りの病院まで急いでもらえませんか。お願いします!」
「どうぞ!奥様を乗せるのはお手伝いします」
「ありがとうございます!」
米井は妊婦の夫である男性と共に、妊婦の妻を介抱して車に乗せると、最寄りのランプから高速に乗り、産婦人科のある都内の大学病院へ車を走らせた。
「自分は一度、タクシーに乗せた急病のお客さんを病院まで運んだのが間に合わず救えなかったことがあります。なので必ず病院には間に合うよう近くの病院はリサーチしているので安心してください。絶対間に合わせますので」
その米井の言葉を聞いた客の夫婦には思わず涙がこぼれていた。余程の言葉に安堵したのか、いつしか夫婦はタクシーに乗る前の慌てた表情も和らぎ落ち着きを取り戻していた。


大学病院に到着すると、すぐに救急外来の入り口に車をつけた。そして、妊婦の妻がストレッチャーに乗せて運ばれる前に夫は米井にこう告げた。
「運転手さん、後で料金払うのでしばらく待っていていただけますか?」
「大丈夫ですよ。それよりも奥様の様子がどうなのか心配です。早く行ってあげて下さい」
「ありがとうございます!」
駆け足で救急外来の奥に消えていく夫の姿を見送った後、米井は近くにいた看護師に容態を聞いた。
「奥様は途中で破水していて、すぐに分娩室に運んで帝王切開で出産させる事になりました」
それを聞いた米井は、昨日乗せた客の初孫の話、今朝の恵未の話を思い出していた。
「七夕に輝く小さな命か。いいことがあるというのはこう言う事だったのか」
米井は車をタクシー乗り場に移動させると、メーターを回送表示にして、夫が来るのを待つ。気がつけば時計は18時を過ぎていた。空にはいつしか天の川がかかっており、あまりの美しさに米井はぼんやりと天の川のかかった夜空を眺めていた。


そしてしばらくして、客の夫が米井のタクシーに向かって歩いてきた。
「運転手さん、本当にありがとうございました!お陰で無事、子供も元気に生まれて、母子ともに健康です!」
「それはそれは、この度はご出産本当におめでとうございます!まさか奥様の出産にこう言う形で携われる事ができるのは、自分としても嬉しいです」
「私達にとっても、不妊治療を重ねながら生まれてきた待ちに待った我が子でした。できましたら運転手さんも是非我が子の顔を見てあげて下さい」
米井は夫に連れられ一緒に病棟に向かうと、先ほど生まれたばかりの赤ん坊のいる保育器を見る。生まれたのは男の子だった。
保育器ですやすや眠っている赤ん坊の姿を見るうちに、米井の目には思わず涙がこぼれていた。子供って本当に素晴らしい、そしてまさに七夕の日に彦星と織姫が授けてくれた命なのだと感じながら…。
その後、米井は出産した妻にも出産のお祝いの言葉を告げ、夫婦からタクシー料金を受け取ると、代わりに米井はそのタクシー料金の一部を夫婦へ出産祝いにと差し出した。
そして、夫婦に何度もお礼を言われながら、米井は静かに病室を後にしていった。
車に戻った米井は、運行日誌を書くと、もう一度夜空を眺める。すると、先ほどからかかっていた天の川が一層輝きを増していた。
「今夜は早く帰ればいいことがあるかもしれないな」
そう思いながら、米井のタクシーは回送表示のまま病院を後にした。


家に着くと、待ちかねていたように恵未が今夜はエバチャンで七夕の飲み会をしようと笠屋兄妹から誘われた事を聞き、夫婦でエバチャンに向かった。
集まっていたのは笠屋兄妹、それに福井を始めとしたタクシーの同業者仲間、そして、米井夫婦の同級生が数人。
今回は名物の沖縄料理の他に、出前で取っていた大きな寿司桶もあるなど豪華な料理が出されていた。
飲み会が始まりしばらく盛り上がっていると、外では花火が打ち上げられていた。今夜は近くで花火大会も開催されていたのである。
天の川、そして花火を見ながらの日本酒と料理は格別だった。やはりこれもまた七夕のいいことだったのだろう。


飲み会もお開きとなり、恵未と共に家に帰ると、米井はベランダから輝きを増していた天の川の夜空を眺めていた。それに気がついた恵未もベランダに出てきて「今夜は天の川がきれいね」と告げると、米井は今回の出来事を恵未に話し始めた。
「昨夜は初孫が生まれたばかりのお客さんを乗せて、今日はそのお客さんを子供と孫のいる家まで乗せてった。そしたら今度は若い夫婦を病院まで乗せて。奥さんは身重でしかも破水していたらしい。病院に着いた後には出産した後にも立ち会わせてもらって生まれたばかりの赤ん坊も見せてもらったり。今日は子供に恵まれた一日だったらしい」
「素敵じゃなーい!そんな話、信じられないじゃん!ねえ、今日は七夕だし、こんなにいい話があったなら、私達もそろそろ子供作りましょ?ね?」
それを聞いた米井は「しまった、今朝の話がまだ残っていたな」とバツが悪そうな表情をしていたが、上目遣いで迫られてきた恵未に観念しつつも、天の川を眺めて今日の出来事を思い出しながら、
「自分もそろそろ子供がいた方がいいかもしれないな。この際、天の川の話を信じてみるか」
と思いながら、恵未の話に頷きつつ家の中に入っていった。
夜空の天の川は、そんな二人を見守るかのように、更に輝きを放っていた。


二人の間に子供が誕生するのは、それから半年後の12月の話である…。


「東京人情タクシー〜お近くでもどうぞ〜」第5話・小さな命と天の川:完

自作小説「東京人情タクシー〜お近くでもどうぞ〜」第4話・家族の絆と仲間の絆~渋谷・表参道・箱根編

時は梅雨明けした7月の上旬の夜、時刻は21時を過ぎていた。
渋谷で客を下ろしたばかりの新婚ホヤホヤである米井のタクシーが、周辺で流し営業をしていた。
そんな最中に、米井の携帯電話が鳴った。
米井は丁度来ていた渋谷駅のハチ公口で車を止めて電話に出る。電話の相手は新妻である恵未からだった。
「仕事中ごめんねゆうくん、今から表参道ヒルズまで来れる?」
「ああ大丈夫だ。丁度お客さんを下ろして今渋谷駅の前にいる。10分か15分あれば行けるから待っててくれ」
やれやれまたタイミングよく電話をしてくれたものだ、と思いながら、スーパーサインを回送に切り替え、タクシーは渋谷駅を出て表参道ヒルズに向かった。


表参道ヒルズは渋谷、原宿と繋がる若者とファッションの街である。この日も表参道ヒルズは大勢の若者で賑わっていた。
その表参道ヒルズの一角の居酒屋から、恵未と、彼女の親友である笠屋弓香、そしてその妹の笠屋由枝が大量の荷物を持って出てきた。彼女達3人は、今朝から原宿周辺で買い物と女子会を楽しんでいたのだった。
3人が買ってきた大量の荷物をトランクに積み、弓香と由枝を後部座席に、恵未を助手席に乗せ、メーターを回送にしたまま、タクシーは米井達の住む地元の足立区の住宅街へ出発した。


「それにしてもずいぶんと沢山買い込んだ上に思う存分遊んで来たな~。まあしかしタイミングが良いときに呼んでくれたものだ」
「だってぇ~。たまには女子3人で遊びたいんだもん。毎日仕事やったり家事や家族の面倒見てて疲れるし、弓と由枝ちゃんの3人で遊ぶとストレス発散になるし」
「まあ、毎日恵未には負担かけさせているから、そんな息抜きはあったほうがいいかもな。それにしてもずいぶんと飲んできたな…弓ちゃんに由枝ちゃんも酔いつぶれてるぞ。それにしても、両親や兄貴譲りで、さすが酒豪と言うだけはあるが…だからといってお前も飲みすぎるなよ」
「エヘヘッ。今夜はゆうくんに甘えちゃおー」
「あーハイハイ。それまでゆっくり休んでなさい」
米井は3人の酔いつぶれた姿を見て、やれやれとした表情でタクシーを走らせていく。気がつくとタクシーは丁度皇居外苑に差し掛かっていた。


地元の足立区に入ると、まず米井の自宅に行き恵未を下ろす。そして米井の家の隣にある、笠屋姉妹の実家でもある米井夫妻行きつけの居酒屋「エバチャン」の店の前に車を止めて2人を下ろす。直後に店からマスターであり2人の兄、そして米井の小・中学校の先輩でもある笠屋江波が出てきた。
「いやー毎度申し訳ないな。まったくこの2人は遊びに行くと必ず酔いつぶれて帰ってくるんだから」
「いやいやいいじゃありませんか。たまには3人で女子会なんて滅多にないんですから。うちも恵未が2人にはいろいろ世話になってますから」
「そんなことないって。なんせこっちも2人がいろいろ世話になってるし、お客さんの送迎でも世話になってるから」
そう言って江波は手間賃だと、米井に1万円札を差し出した。
「申し訳ないです。わざわざありがとうございます」
「いえいえこちらこそ。その代わりついでで申し訳ないけど、うちのお客さんをまた送ってもらえないかな?」
「お安いご用です。なんせうちはタクシードライバーですから。お客さんの送迎でいつもご贔屓にしていただきありがとうございます」
そうして、江波の店で勘定を済ませた若い2人組の客を乗せると、目的地である葛西に向けて出発したのだった。


「運転手さん、若いのに個人タクシードライバーって凄いですね」
「ありがとうございます。よくそう言われますが、まあ自分の場合は訳ありですから」
「自分達なんて、仕事以外にただ飲み歩いて遊ぶだけしか能がなくて、それ以外はただ家で過ごすだけですから」
「じゃあ飲み歩きが趣味みたいなものですかね。素晴らしいじゃないですか。自分なんて、タクシードライバー以外にはバンドぐらいしか能のない人間です」
「いやいや、バンドやる人のほうが素晴らしいですって。ところで、あのお店とは懇意ですか?」
「実は自分の地元で、あの店を経営する家族と自分の家族とは、両親も含めて実の家族ぐるみの付き合いなんです。マスターと看板娘の妹2人は、それぞれ自分と妻の小中学校の先輩、同級生、そして自分の弟の同級生で後輩です。あの家族が訳あって沖縄から自分の家の隣に引っ越してきて、沖縄料理の居酒屋を始めてから、かれこれ30年以上の付き合いになりますかね」
「すごーい!30年以上も付き合いがあるなんてうらやましい。うちらは従兄弟同士で、アパートも隣の部屋同士ですけど」
「こんな共通もあると嬉しくなりますね」
そんな会話をしつつ、車はいつしか荒川沿いを進み、目的地の葛西駅近くのアパートに到着した。


その日の営業を終えて自宅に戻ってきた米井は、先ほど営業を終えた居酒屋「エバチャン」で江波と2人で泡盛を飲み明かしていた。米井は水割り、江波はロックである。
「そういえば、先輩達が引っ越してきてもう30年以上になりますね」
「そうか、もうそんなになるんだな…」
「この約30年はあっという間な気もしますが。親父さんが病気で人工透析を受けざるを得なくなり、名医のいるここに移住しようとわざわざ沖縄から引っ越して来て。そして最初に友達同士になったのが隣のうちらでしたね。沖縄の事をいろいろと教えてくれたり、毎晩双方の家族で食事したり、一緒に過ごしたり。だからお互いに辛くも寂しくもなかったですよ」
「それで反対に今度は米井君のおふくろさんが認知症にはなったけど。今思うと今度はこっちが恩返ししてるな」
「困った時はお互い様です。自分なんてそれまで幼馴染みだった女房以外に友達もあまりいなかったし」
「今思えばしみじみだけど、前向きで楽しいし。お陰でもう平気になった。ありがとう」
「いえいえ江波先輩こそ。これからもお互い末永い付き合いになりますようどうかよろしく」
そう飲み明かしていると、米井の携帯にまたしても恵未から電話がかかってきた。
「すいません、女房からそろそろ帰って来いと電話がありまして。女房にもまだ酒が残ってますし。またゆっくり飲みましょう。御馳走様でした」
「ああ、気をつけて。またゆっくりな。恵未ちゃんとの夜は大いに楽しみなさいよ」
「うっ…おやすみなさい!」
米井はそう言うと、江波の冷やかしに顔を真っ赤にして照れながら逃げるようにして店を出ていった。


「ねえゆうくん、江波先輩と何の話してたの?」
「ん?あ、先輩達が沖縄から引っ越してきて、もう30年以上経つって話。ほら、俺達がまだ小学校の時の話さ」
「あ、そうだったよね。あたしも今思うと弓ちゃんと親友同士になったのもゆうくんのお陰だったりして。一時期は弓ちゃんと2人でゆうくんの取り合いまでしてケンカもしたけど」
「そんなことあったなそういえば。あの時はお互いに怖かったぞ。これ以上からかうと、こうするぞー」
「エヘヘ。ゆうくんだーいすきー」
そんな会話をしているうち、いつの間にか疲れも溜まっていた米井は、隣にいる恵未の事も気にしないまま自然と眠りについたのだった。


翌日、米井のタクシーは福井のタクシーと共に六本木ヒルズで貸切予約の客待ちをしていた。
この日、福井のタクシーに知り合いのバンド仲間からの旅行の迎車の依頼があり、人数が多すぎて1台で乗り切らないため、米井はその福井からの応援の依頼で、福井と2台体勢で貸切予約と相成ったのである。もちろん、1泊2日の長旅であった。
しばらく待っていると、6人ほど乗客が楽器などを抱えてやってきた。
福井のタクシーには中年の男性3人、米井のタクシーには若い女性1人と中年の女性が2人ずつで、それぞれの車に3人ずつ乗せて、2台のタクシーは六本木を出発した。


2台でしばらく走っていると、米井のタクシーの乗客のうち、中年の女性が米井に話しかけてきた。
「福井さんにこんなに若い知り合いがいるなんて、なんだか凄いですね」
「いや、福井さんは音楽仲間だけでなく、法人タクシー時代からの先輩なんです。最初は音楽仲間だけの関係でしたが、福井さんがタクシードライバーとして自分をスカウトしてくれたんです。その後に福井さんが個人タクシーで先に独立されて、さらにその後に自分が訳あってタクシー会社を辞める時にも、個人タクシーへの独立を勧めてくれた上に、自分が個人タクシーを開業するまでもいろいろお世話をしてもらいました。なので福井さんは自分にとって、生涯2度も救ってくれた大恩人でもあります」
「いいですね。そんな絆の深い人はバンドでもなかなかいないのに」
「ありがとうございます。そういってくれると、今じゃ不況で厳しいともいわれるこの業界でやってきてよかったと思っています」
そんな会話をしつつ、福井のタクシーと共に、米井のタクシーは首都高速に入った。都心環状から3号の渋谷線に入り、東名高速に入る。川崎、横浜、大和を通過し、厚木インターから小田原厚木道路に入る。さらにそこから小田原西インターまで進み、箱根口インターを降りて、国道1号を箱根新道方面へ走る。そして箱根新道を走り、芦ノ湖大観インターで降り、更に芦ノ湖スカイラインを抜け、目的地である芦ノ湖の湖畔の旅館に到着した。


旅館でチェックインを済ませると、それぞれ部屋に荷物を置きに行き、そして一行は芦ノ湖を遊覧船で周遊した後、夕方には旅館に戻り各自温泉に浸かる。そして晩飯は豪勢な舟盛りを中心とした料理に舌鼓を打ちながら乗客一行との宴を楽しんだ。


宴も終わり、米井がロビーで一息ついていると、福井が米井の隣に座ってきた。
「今回はわざわざ手伝ってくれてありがとうね。お陰で俺も米井君も箱根旅行を楽しめたし、お客さんも大喜びだったよ。やっぱり、君をこの業界に誘って良かったと思うね」
「いやいや。自分の子供時代からの夢だったとはいえ、最初に福井さんが自分をこの業界に誘ってくれたのにはびっくりでした。ちょうどその時は自分は免許取りたての頃から走り屋だったので、正直なところ悩むに悩みましたが、薄れていた子供時代からの夢だったので、すぐに迷いや抵抗は無くなりました。今思えば、最初は大変で辛いこともありましたが、福井さんが自分にいろいろとノウハウを叩き込んで育ててくれたお陰でこうした今の自分がいますから。更には自分が個人タクシーとして独立する時にも福井さんがいろいろと手伝ってくれたりで。やっぱりタクシーは自分の天職だったのかもしれませんね」
米井と福井は、いつしかこれまでの出来事を回想していた。法人タクシー時代からの同僚で師弟関係でもあった2人は、米井がこのタクシー業界に飛び込んできてからはまさに2人3脚でやってきたほどの強い絆で結ばれていた。米井がまだタクシーとは無縁の会社員時代に、趣味で音楽活動をしていた時に福井と知り合い、あるライブの打ち上げが終わり米井が福井を車で送っていった時に、その眠くなるほどの快適な米井の運転技術を絶賛した福井が、是非タクシードライバーにしたいと米井を説得、自らのタクシー会社に掛け合うなどして、米井のタクシードライバーへの転職にこぎ着けた。ベテランドライバーだった福井にとっては、米井はそれほどタクシー業界には欲しくてたまらない逸材だったのである。
そんな時代を回想しながら、いつしか箱根の長い夜は更けていった。


翌朝、箱根の旅館をチェックアウトした一行は、箱根の大涌谷を観光し、再び東名高速からのルートで帰路についた。
その夜米井は、エバチャンで恵未や笠屋兄妹と共にお土産を囲みながら、今回の箱根旅行の話を語っていた。
そんな折に恵未が「この次は私達でどこか車で旅行に行きたいね」という話になり、笠屋兄妹も大喜びで賛成していた。
米井はまた恵未の言い出しっぺが始まるのかと思いつつも「たまにはこのメンツで旅行するのも悪くないな」と内心で旅行計画を立て始めていた。
でも「旅行に行くなら恵未と2人のほうがいい」と思わず言ってしまうのは、やっぱり新婚ならではかつ、妻を溺愛してしまう夫の一面だったりする。
その米井の言葉を聞いた弓香と由枝は「やっぱり愛されてるのね~」と冷やかされながら羨ましがる。
さすがにこれには夫婦揃って顔が真っ赤だったのは言うまでもない。
そんな隣同士の家族団らんで、この夜もまた更けていくのであった。


「東京人情タクシー」第4話・家族の絆と仲間の絆:完

自作小説「東京人情タクシー〜お近くでもどうぞ〜」第3話・昔馴染みと紫陽花の彩~北千住・三浦海岸編

梅雨入りしたばかりの6月半ば。
3日前から続いている雨で、道路一帯は水たまりが建物や木々を映し出している。その光景はまるで水の鏡を敷き詰めているかのようだった。その付近には、咲き始めたばかりの紫陽花が、近くに立っている木から落ちる雨滴が落ちるたびに揺れながら、鮮やかな紫色をして一帯を色濃く染めている。
朝9時過ぎ、 米井は近くにそびえ立つ東京タワーを眺めながら、 芝公園近くのパークタワーホテルのロータリーでタクシーの客待ちをしていた。公園での人の行き交いもほとんどなく、車の通りもガラガラなその光景は、晴れの日とはうって変わってどこか切なさも漂わせていた。
10時を過ぎ、ホテルのチェックアウト客がぞろぞろと出て来て、タクシー乗り場に並び始めると、次々にタクシーに乗り始めると同時にタクシーの客待ちの列も動き出す。そして、米井のタクシーにも、最前列まで来た直後に、チェックアウトした客の1組が乗り込んできた。
乗客は普通の中年の夫婦だが、他のタクシーに乗る客やバスに乗る客などあちこち次々に挨拶していた。昨夜は何かこのホテルで宴会があったのだろう。米井がそう思いながら、車は乗客の行き先である北千住に向けて出発した。


上野公園を過ぎると、朝からの雨足が更に強まってきた。
「今朝は雨続きな上にこう雨足が強くなると何だか昨日の再会も束の間の別れが寂しくなるような…」
「そうね…」
「おやおや。お客さん、昨日は何かホテルでおめでたい事でもありましたか」
「あ、いや、昨日は私共の小学校の同窓会だったんですよ。実に40数年ぶりの再会になりましょうか。私ら夫婦も、小学校時代からの幼馴染みでして」
「それは良うございましたね。ましてやご夫婦でそろって小学校の同窓会に行ったなんて、40数年前とはいえ同級生の方々にはさぞかし羨ましがられましたでしょう。小学校から仲睦まじいご夫婦なんて、素晴らしいですね」
「いえいえそんな…ありがとうございます。お陰で充実した時間を過ごせましたよ」
「あら、運転手さんにもじきに同窓会の案内が来られるんじゃありません?まだお若いとはいえ、いずれはそういう機会もあるといいのに」
「いや、そう言えば実は昨日自分のところにも小学校の同窓会の案内が来たんですよ。小学校の事などこの年ですっかり忘れそうになりました。なんせ自分もタクシー一筋でやって来て、こういうのにはほとんど無縁でしたから」
雨足が強まっていくにも関わらず、いつしかタクシーの車内は米井と乗客夫婦とのお互いの同窓会の話題で盛り上がっていた。その間に隅田川、荒川を渡り、それから30分後に目的地の北千住に到着した。
「運転手さん、ありがとうございました。私達のお話で同窓会の話題がこんなに盛り上がるなんて信じられませんでした。運転手さんもせっかくのお誘いですし、是非同窓会に出席なさってください」
「いえいえこちらこそ。こちらも危うく自分の同窓会の事を忘れるところでした。この際せっかくなんで、自分も同窓会に行こうかなと思います。ご乗車ありがとうございました。どうぞお気をつけて」
米井はそう言って乗客の夫婦を降ろし、乗務日誌に売上を記入しながら、この際だし、帰ったら同窓会の返事をすぐにでも出そうと心に決めたのだった。


その日の営業を終えた米井は、自宅に戻ると、昨日着いたばかりの同窓会の案内ハガキを郵便物の束から取り出した。同窓会は2週間後の土曜日である。
米井は同窓会の案内の往復ハガキの出席欄に○をつけ、近所にあるポストに投函したのだった。
米井にとって、小学校時代の仲間に会うのは実に約20数年ぶり、成人式以来10数年ぶりでもある。
当時の親友や、幼馴染みは今頃どうしているだろうな…そんな思いを馳せながら米井は眠りについた。


そして2週間後の土曜日、同窓会の当日。つい最近まで雨続きだったのが嘘のように晴れた空の夕暮れ時、都心部の某ホテルのロビーに米井の姿があった。その米井がロビーで時間を潰していると、ある一人の女性から声をかけられる。その女性は米井の幼馴染みである秋田恵未だった。
「ゆうくん、ほんとにお久し振りね」
「いやいや、恵未ちゃんこそ。幼馴染みとはいえ中学校以来久しく会ってないな」
幼少時からの幼馴染みだった2人は、幼稚園から、小学校、中学校までずっと同じクラスだった。高校進学と同時に違う道を歩み始めたとはいえ、近所なのでたまに会う機会はあったが、社会人になってからはその会う機会も無くなっていたのである。
「今は俺はしがない個人タクシーの運転手に収まったが、恵未ちゃんは何してるんだい?」
「私は建築士の仕事をしてるの。一級建築士の資格を取って、今は都内の建設会社に勤めてるの。でも、もうそろそろ独立しようと考えてるんだけどね。すっかり独立したゆうくんがうらやましいな」
「まあ、独立したとはいえ訳ありだし、何せ手狭な実家暮らしで、むしろそろそろ家を建て替えたいとは思うが」
そんな話をしているうちに、同窓会が始まる時間になり、2人は大いに同窓会を楽しんだ。当時の学年の各クラス合同での開催だったため、大規模には及んだが、担任の先生、各クラスの先生方、クラスメイトの旧友など、様々な人々と旧交を温めていた。
同窓会がお開きになると、恵未からに「今夜はまだ時間ある?」と聞かれた米井は2つ返事でOKをして、2人はホテルを出て近くの居酒屋に向かった。周りの旧友からは冷やかされたが、心地よいほろ酔い気分の米井には気にならなかった。
そして、居酒屋で2人だけの旧交を温めた後、来週末に車でドライブデートをしようと約束したのだった。


さらに1週間後の土曜日。早朝から米井はタクシーを洗車して点検をしていた。そしてメーターを自家使用表示にして、恵未との待ち合わせ場所である近所の公園に向かった。
「お待たせしました。だいぶ待った?」
「ううん。ちょうど良かった。まさかゆうくんのタクシーでデートだなんて」
「大丈夫よ。ちゃんと自家使用表示にしてあるし。自家使用できるのは個人タクシーの特権だからね」
そう言いながら恵未を乗せて、タクシーはデートスポットである神奈川の三浦海岸まで車を走らせた。この日は偶然梅雨明けだったこともあり、晴れた上に日射しが強く、気温も20度を越えた真夏日に近い日であった。
三浦海岸の海沿いに来ると、付近のビーチは海水浴やサーファー等で賑わっていた。2人はその近くのビーチ沿いのカフェレストランでランチを楽しんだ。


そして2人の時間はあっという間に過ぎていき、彼女のリクエストで近くのビーチで車を止め、まるで神秘的な海に沈む夕陽を眺めて楽しんでいた。
「夕陽がきれいね」
「そうだな。普段は都心部で仕事をしている俺たちからすれば、滅多に見る夕陽とは違った光景だな」
 「そうね…ゆうくん、あのね。今までずっと話せなかった事なんだけど、それでもよければ聞いてくれる?」
「ぜんぜん構わないさ。俺だって恵未ちゃんに話せなかった事がある」
「ありがとう。…ゆうくん、突然かもしれないけど、今はひとり?」
「いや、両親と弟とで家族で暮らしてるが、彼女はいない。昔付き合ってた奴はいるが、そいつは結婚しちまった」
「あ、そうなの。あのね…ゆうくん…私たちは幼馴染みだし、幼稚園も小学校も中学校も一緒で、クラスも一緒だったよね」
「うん」
「だから、中学校になってもよく一緒に帰ってたよね」
「うん、そうだな」
「だけどゆうくんは私には昔と変わらず今でもこうやって接してくれてるよね」
「うん」
「だけど、月日が経つにつれて、なんだか私の気持ちも単なる幼馴染みではなくなってるような…変わっていく気がしてきたの」
米井は何かを感じ取るように恵未の話を黙って聞いていた。自身への彼女の想いを感じていた米井は、恵未から話す本当のその答えを待っていた。そして…
「…ゆうくん、私はあなたが今でも大好きです。幼稚園の時からずっと。今更かもしれないけど…私と付き合ってくれますか?」
その恵未からの告白を聞いた米井はしばらく海を見つめてじっと黙っていた。本当のその答えを聞いた彼にとっては、実は自分からも言いたかった事だった。相手に先に言われてはしまったものの、自分からはなかなか話せなかった米井は喜びと安堵感に包まれていた。そして、米井はこう話しながら、ポケットから小箱を取り出して恵未に差し出した。
「想いをぶつけてくれて、本当にありがとう。実は、俺からも同じような事を伝えたかった。そして、俺は恵未ちゃんとのもっとその先の事を考えていたのを伝えたかった」
「えっ…これって…!」
「改めて。恵未ちゃん、自分と結婚してもらえますか?」
「…ありがとう。喜んで…うっ、うっ…」
突然の米井からのプロポーズに驚いた恵未は、まさか自分の幼馴染みに対する想いがこういう形で帰ってくる事が想像しがたかったのか、いつしか涙が止まらなかった。そして、いつしか思わず米井の腕の中に飛び込んで泣きじゃくっていた。
いつしか真っ赤な夕陽の光が、ビーチで抱き合う2人を包むかのように海に反射して照らしていた。


そして夜になり、帰りの車の中で米井が尋ねた。
「それにしても、建築士として独立する夢はどうなるんだ?」
「あ、それなんだけど。ゆうくんのお母さん、認知症でしょ?それなら思い切ってゆうくんの家を建て替えて、建築事務所とタクシーの事務所を兼ねた自宅にしようと思うの。もちろん、家の設計は私がやるわ」
「なるほど、これでかえってトントン拍子になって良かったと言うわけか。まあ、何とも都合のいいような話にも聞こえるが」
「なによー。何だか私が悪いような話に聞こえるじゃないのよー。」
「いやいや、別に…」


それから数日後、2人はそれぞれの両親、そして櫻田に結婚の挨拶をして、入籍と結納を済ませ、1ヶ月後、仲人である櫻田の計らいもあり、同窓会のあった都内のホテルで結婚式を挙げた。
結婚式・披露宴には米井のバンド仲間や、タクシーの同業者仲間、恵未の仕事仲間や友人、更にはつい先日同窓会で再会したクラスメイトや先生方も出席し、大盛り上がり。その数日後の新婚旅行は九州に決まり、もちろん米井のタクシーでの長旅になった。


新婚旅行を終えて数ヶ月後。いつものように、米井が営業を終えて自宅に戻ってくると、恵未がいつもより贅沢な手料理を作っていた。
「恵未、これまたどうしたんだよ。何だかいつもより豪華な飯だな。何かいいことでもあったのか」
「うん、すっごく良いことあったの。今日、病院に行ったらね…」
「えっ…まさか!恵未!」
「5ヶ月だって。ちなみに、男の子」
「信じられない。本当にありがとう、恵未…」
それまでの暗い人生が続いていた米井に、とてつもない光が射した出来事だった。米井は恵未のお腹をさすりながら、恵未に何度もお礼を言った。
出産予定日は米井の誕生日と同じ12月である。


翌日、米井は福井にも子供が生まれる事を報告した。
「そうか、とうとう米井君も父親になるんだねえ」
「はい。ここまで来た以上、これからいろいろ大変かもしれませんが」
「うらやましいな。昔を思い出した。まさに青春バンザイだねえ」
福井にも冷やかされ、米井はこうなりゃ恵未の出産までに頑張って稼がなきゃ、と今にも張り切っていた。
ちなみにこの日、嬉しさと張り切り過ぎで前日の夜はあまり眠れず、日中の営業を終えて休憩で居眠りしている所を福井に起こされ、夜の営業開始があまりにも遅くなったのは言う間でもない。


「東京人情タクシー〜お近くでもどうぞ〜」第3話・昔馴染みと紫陽花の彩:完