自作小説「東京人情タクシー〜お近くでもどうぞ〜」第8話・木枯しの彩と人生の思い出~押上・光が丘編 | 走り屋ギタリスト・リアルドリフト侍ことマシンXのドリフト&ギター血風録

自作小説「東京人情タクシー〜お近くでもどうぞ〜」第8話・木枯しの彩と人生の思い出~押上・光が丘編

 時は11月上旬の水曜日の曇り空。
 この日、間もなく昼時にさしかかろうとしていた中、米井は前日に木枯らし1号を観測したというニュースをラジオで聞きながら、永田町の国会議事堂近くのイチョウ並木でタクシーを走らせていた。
 イチョウの葉はだいぶ落ち、歩道や路肩一面辺りには落ちたイチョウの葉で黄色いじゅうたんができていたが、それでも木には半分近く葉が残っている木もあり、間もなく冬に入ろうとする風情を漂わせていた。人混みほどではないが、周辺ではサラリーマンや公務員、年配の男女や老夫婦など様々な人々が歩いている。中には落ちたばかりのぎんなんを拾いながら歩く人もいれば、付近には木の実を啄むツグミも飛んでいた。
 1年のうち、その月々で生活のイベントや季節、景色など、様々な節目や移り変わりの象徴があるものだが、11月は他の月と比べると、とりわけそういう出来事が少ない。あるとすれば、暦の上では立冬と呼ばれる冬に入るのを意味する日、そして下旬には勤労感謝の日があるぐらいだった。ただ、年の瀬の1ヶ月前という事もあり、徐々にその準備に忙しいような雰囲気がわずかに表れつつあった。


 皇居を過ぎ、神宮外苑に差し掛かったところで、米井は手をあげている初老の男性客を見つけるとすぐにその男性客の側に車を付けて止めた。
 そしてその乗客を乗せ、乗客が
「とりあえず、皇居まで行って、そこから周辺を一周してもらえないでしょうか」
と告げると、それを合図に返事をした米井は神宮外苑からタクシーを発車させて皇居に向かった。
 半蔵門に来ると、米井は二、三乗客に尋ねてみる。
「お客さんは、観光か散策か何かでこちらに来られたんですか?」
「ええ、まあ。今日はどうしても、東京周辺を散策したかったもので」
「そうですか。ここ最近は、外国からの観光のお客さんが増えてきましたが、年配の方々も観光でお見えになることも珍しくなくなりましたからね。とはいえ、お一人で東京散策とはお珍しいですが」
「いや、実は一緒に住んでる孫と約束があるんですよ。孫は今日の夕方まで仕事なので、それまで都心部の観光でもと思いまして」
「そうですか。それはまたいいですね。今やお孫さんも一社会人ですから、さぞかし立派に成長されたんでしょう」
「ありがとうございます。いやー、運転手さんにそう言ってもらえるとなんかうれしいですよ」
 そんな会話をしつつ、タクシーは皇居回りを一周すると、その乗客の孫との待ち合わせ場所である芝公園へ向かう。芝公園周辺の並木道や木々も、葉がだいぶ落ち、まもなく本格的な冬に入ろうとする風情を漂わせていた。
 目的地の芝公園へ着くと、乗客の孫である若い女性が待っていた。
「運転手さん、ありがとうございました。孫とも会えましたし、これからゆっくり家族との時間を楽しんできます」
「いえいえ。こちらこそご利用ありがとうございます。家族との時間は大事ですからね。どうぞお気を付けて」
 米井は客を降ろすと、何度も手を振る客と孫娘に手を振り返し、笑顔でタクシーを出発させた。


 翌日、中目黒駅の乗り場で客待ちをしていた米井のタクシーに、前日に乗せた初老の男性とその孫娘…立石良三と立石千佳から米井への指名の貸切予約の無線が入ると、米井はすぐさま前日に男性を降ろした芝公園に向かう。
 芝公園に着くと、昨日乗せた男性とその孫娘が 待っていた。
 米井は2人を乗せると、目的地である東京スカイツリーに向かってタクシーを走らせる。
「わざわざのご指名ありがとうございます。充実したご家族とのお時間を過ごされているようで何よりです」
「いえいえこちらこそ。運転手…いや、米井さんのお陰で何故かほっとする気持ちになれたので、どうせならと思いまたお願いしたというわけなんですがね」
「まあ、自分も個人タクシーで自営業を始めてから、家族との時間を過ごせるようになりましたが、タクシー稼業の方も法人時代と比べて自由度が増したお陰で気分屋のような感じにもなってしまいましたが」
 良三のそう返した米井の言葉の後の溜め息に、思わず3人は笑いがしばらく止まらなかった。


 しばらくして、タクシーは東京スカイツリーの麓に近づいてきた。
 スカイツリーの麓の駐車場にタクシーを停めると、3人はスカイツリーの展望台に登るなどの観光を楽しむ。米井自身もスカイツリーの展望台に登るのは初めてだったが、展望台から東京の街を見下ろすとあまりの高さに息を飲んだ。
展望台から降り、3人で昼食をとることになり、麓の施設内にあるレストランに入り、そこで再び3人での会話が始まる。
「それにしても、立石さんも千佳さんも、仲の良いお爺ちゃんとお孫さん同士でいいですね。この次はご家族揃って来れればいいですが」
「いえ、実は私の両親は7年前の高校2年の時に交通事故で、祖母も2年前に病気で亡くなりました。今は私と祖父、そして弟の3人だけです」
「そうだったんですか。それはおいたわしい事です。でも、そういう出来事を乗り越えて生きるご家族というのは素晴らしいものですね」
「ありがとうございます。そういっていただけるとこちらも長年の持病を乗り越えられそうです」
「いえいえ。というと、立石さん、どこか具合でも悪いんですか」
 米井の質問に千佳がこう切り出した。
「実は祖父は一昨年に祖母が亡くなった後にガンと診断されたんです。既に末期だったんですが、余命半年と言われたにも関わらず今日までがんばってこられました。おかげでもう少しでガンを克服できそうです」
「いやはやお恥ずかしい。本当なら既に老いぼれで体力が無いのに、何故か悪運だけは強いんですよ」
 2人の笑い飛ばしながらの会話に引き込まれるように米井もいつしか一緒に笑い飛ばしていたが、良三がガンだと言う事を知った米井としては、内心では何故か笑えるような話ではなかった。
 そんな時はあっという間に過ぎてお開きになり、米井が2人を練馬の光が丘の自宅マンションに送り届けた。その直後、良三がお礼の挨拶と同時に米井にこんなお願いをした。
「米井さん、これからの事なんですが、日中にお話ししたように、今ガンの治療で病院に通ってるんです。それで、その通院に今後米井さんのタクシーを利用したいんですが…大丈夫でしょうか?」
「ありがとうございます。もちろん大丈夫ですよ!連絡頂ければお迎えに上がりますので。是非いつでもどうぞ!」
 米井のその返事に安心した良三は、再びありがとうございましたと挨拶をすると、千佳と共にマンションの谷間に消えていった。


 自宅に戻ると、恵未が晩御飯を作って待っていてくれた。
「おっ、今日は晩飯一緒に食べるの待っててくれたの。ありがとう。日頃の仕事の疲れも一緒に取れそうだ」
「どういたしまして。あ、そうだ、今度の休みに2人でどこか行かない?あたしもしばらく弓と由枝ちゃんと出掛ける事が多かったし、たまにはゆっくんと2人でもいいかなと思ったんだけど」
「何だよ~、そのついでみたいなイヤな言い方~。まあ、ここ最近は仕事で構ってられなかったし、たまにはいいかもしれないな。よし、スケジュールが空きそうな日を調整してみよう。でも、妊娠中なのに大丈夫か?」
「平気よ。この間安定期に入ったばかりだし。わー、嬉しい。楽しみにしてるね」


 4日後の月曜日。
 立石良三から、米井のタクシーの迎車依頼の電話が入る。
 米井は朝食を済ませると、すぐにタクシーを走らせ良三の住むマンションに向かった。    
 マンションに着くと、良三が一人で待機していた。
 すぐさま米井は良三をタクシーに乗せると、目的地である病院の国立がんセンターに向かった。
 病院の入口に着くと、良三はタクシーからゆっくり降りて受付の列に並びに行く。
 米井は良三が診療中の間、近くの通りの路上で車を停めて、お茶を飲みながら一休みする。
 米井にとっては迎車までの一休みは数少ない至福の時間でもあった。


 やがてまもなく昼に差し掛かるときに、良三から診察終了の電話が入る。すぐさま米井はタクシーを病院のロータリーに横付けした。
乗り込んできた良三の表情は明るいように見えたが、内心はあまりに暗いように見えたのには、米井にはすぐにわかった。米井はすぐさま車を光が丘に向けて走らせ始めた。
 しばらくして、良三が重く口を開き始めた。
「米井さん、今、家族との時間は…幸せな時間に思えますか?」
「ええ、もちろん幸せですよ。今年の6月に自分の幼馴染みと結婚して女房も持てて、来月には子供が生まれる予定です。ちなみに男の子ですが。まあ、女房の性格もハチャメチャなところはありますが、料理も作ってくれたりでいろいろ自分を心配してくれたりで、最高の家族を持てたように思います。今度の休みの日にも、女房と2人でどこかにドライブ旅行することになりました」
「それなら良かった。絶対にその気持ちは大事にした方がいいですよ。実は、今日の検査で、ガンの転移が判明して、それも末期だということがわかりまして。こうなれば、私も残り少ない人生を家族の時間に当てようと思っています」
 米井はその言葉にただただ頷くだけであった。良三のガンの転移の話に一瞬衝撃を受けて言葉が出てこなくなったからなのだろう。だが、その思いを受け止めるように内心では返事するのを噛み締めていた。
 目的地の光が丘のマンションに着くと、孫娘の千佳と、その恋人であろう若い男性が出迎えに来ていた。
「本日もご利用ありがとうございました。また何かありましたらいつでもご用命ください。そしてご家族とのお時間を大切になさってください」
「こちらこそ、ありがとうございました。実は来週、千佳は隣の彼と結婚するんですよ。せめて孫の花嫁姿を見るまでは簡単には死ねませんよ」
 そう言って良三は笑いながら車から降りていった。そして米井は、良三と迎えに来ていた千佳とその婚約者の3人に手を振られたのに手を振り返しながら、光が丘のマンションを後にした。


 翌週の月曜日。
 米井は安定期に入ったばかりの身重の恵未を連れて、かかりつけの総合病院の産婦人科に来ていた。
 検査結果は順調で、恵未の出産予定日は12月半ばに決まった。
 その傍らで、米井は今週末に結婚式を控えている立石一家を思い出していた。そして、来月に は自分にも新しい家族が増えると思うと、内心では嬉しくてたまらないのを心で噛み締めていた。
 その日の帰りの車内で、米井はこう切り出した。
「なあ恵未、家族ってやっぱりいいものだよな」
「…ゆうくんどうしたの?急に」
「いやね、タクシーのお得意さんの孫娘が、今週末に結婚式を控えているんだと。その前にこうして恵未のお腹で子供がすくすく育ってるんだと思うと、幸せ過ぎてたまらないものなのさ」
「あらいいわね。なんだかこっちもジャストタイミングみたいな話でいいじゃないの。何だか今日はほっこりした日だったみたいね」
 米井と恵未のそんな会話で、車内は静かながらも幸せな雰囲気を発していたまま、タクシーは自宅に向かっていく。


 その2日後の水曜日の夜、早めの営業を終えて帰ろうとしていた矢先、米井の携帯の着信音が鳴った。電話してきたのは先日結婚式を挙げたばかりの千佳だった。
「米井さん!大至急国立がんセンターまで迎車を頼みたいんです!祖父が急に苦しみだして、さっき病院に救急車を呼んだばかりで…」
「分かりました。今丁度新宿にいるので、とりあえず自分は国立がんセンターに向かいます。これから迎えに行くのもそんなに時間はかかりませんので、まずはおじいさんに付き添って救急車で病院へ行ってあげてください」
 電話が終わると、顔色を変えて真っ先にメーターを回送表示にして、米井はすぐに国立がんセンターに向かった。
 病院に着くと、集中治療室の前で既に千佳と千佳の夫、それに千佳の弟が待機していた。
米井はその千佳の夫…高島翔と、千佳の弟…立石雄二の2人とお互いに改めて簡単な自己紹介をすると、良三の容態を尋ねる。
「米井さんのタクシーで病院に行った時に、米井さんとの話をしてくれてました。それで、家族との時間を大事にしようかと話終えた直後に苦しみ出して…」
 米井はその話を聞くと、日中に妙な胸騒ぎがしたことを思い出した。もしかしたらと頭の片隅で思いながら。もしかしたらこの事だったのかと思うと複雑な気持ちを抱えながら、米井は高島夫妻と共に良三の意識が回復することを祈り待ち続けた。


 しかし、2日後の金曜日の夜、良三は息を引き取った。
 その翌日、病院の霊安室から出てきた良三の遺体は、高島夫妻と雄二を乗せた米井のタクシーと共に、光が丘の自宅マンションに無言の帰宅をした。
 その帰り、米井は良三との2週間前との会話を思い出していた。
"「米井さん、今、家族との時間は…幸せな時間に思えますか?」
"「ええ、もちろん幸せですよ。今年の6月に自分の幼馴染みと結婚して女房も持てて、来月には子供が生まれる予定です。ちなみに男の子ですが。まあ、女房の性格もハチャメチャなところはありますが、料理も作ってくれたりでいろいろ自分を心配してくれたりで、最高の家族を持てたように思います。今度の休みの日にも、女房と2人でどこかにドライブ旅行することになりました」"
"「それなら良かった。絶対にその気持ちは大事にした方がいいですよ。実は、今日の検査で、ガンの転移が判明して、それも末期だということがわかりまして。こうなれば、私も残り少ない人生を家族の時間に当てようと思っています」"
" 「実は来週、千佳は隣の彼と結婚するんですよ。せめて孫の花嫁姿を見るまでは簡単には死ねませんよ」"
「もしかしたら、本当は既に先は長くないと悟っていたのか…お孫さんの千佳さんの結婚式を無事に見届ける事ができて安心したのだろう。その数日後というのは、大往生だったのか…それとも…」


 3日後、良三の告別式が光が丘の葬儀式場で執り行われ、米井も弔問客兼遺族の運転手として参列した。12時に良三の棺が出棺し霊柩車に乗せられると、米井は遺族の高島夫妻と雄二をタクシーに乗せ、良三の棺を乗せた霊柩車と共に新宿の落合斎場へ向かった。
 そして良三が落合斎場で荼毘に付された後、良三の位牌、遺影、遺骨を抱いた高島夫妻と雄二をタクシーに乗せ、再び光が丘の自宅に向かった。タクシーの車内ではお互い終始無言のままであった。
 光が丘の自宅に到着し、乗せていた高島夫妻と雄二を降ろすと、米井と遺族はお互いに一礼をする。そして、そのままマンションの谷間に消えていく高島夫妻と雄二を、米井は黙って見送り続けていた。この先、良三が生前に言っていたように、大事にできる家族になってほしいと願いながら。


 翌日、米井は身重の恵未を気遣いながらお台場海浜公園を散策しつつ、恵未と2人だけのデートを楽しんでいた。
 そして身重の恵未を見て、生前の良三の言葉を思い出すと、米井は恵未がいつもよりいとおしく思えたのである。
「ゆうくんどうしたの?そんなにジロジロ見ちゃって。あ、そっか、そんなに生まれるのが待ち遠しいのね」
「まあな。もうすぐ家族が増えると思うと、2人だけの時間もなかなか取れなくなるけど。でも、生まれたら子供と3人だけの時間も増やそうと思う」
 恵未のお腹をさすりながら、米井は微笑みながらそう答えた。すると、
"「子供さんが生まれるのが楽しみですね」"
 米井はその言葉に気づいて後ろを振り向いたが、人影は見当たらなかった。
 もしかしたら、良三がどこかから声をかけて見守ってくれたのだろう。そんな気がした。
 息子の出産予定を来月に控えた米井夫妻。
 その時に迎える息子を入れた3人の時間はどんなものになるのだろうか…。


「東京人情タクシー〜お近くでもどうぞ〜」第8話・木枯しの彩と人生の思い出:完