中学受験の話① | 働く母の戯言日記

働く母の戯言日記

働く母が綴る日々の記録。

中学受験って、子どもの教育の一つの選択肢で、どちらかというと親が子を促し、人生をより豊かにするための手助けをするものだと思っていました。


何も考えていなかった小学生の頃から「Yukiちゃんは、ひいおばあちゃん、おばあちゃん、お母さんも通ってきた私立の中高一貫の女子校へ通うのよ」と言い聞かせられ、なんの疑いもなく、それが当然のこととして生きてました。


田舎の私立中学、ましてや女子校なんで倍率も大したことはなく、併願なんかもせずに。

今思えば体系的な把握せずに、母なりの信念に従い精一杯の受験対策をしてくれていました。


何が言いたいかというと、中学受験を疑いもなく経験させてくれた親に私自身は感謝しています。


私は頭すごく悪くはないとは思いますが、頭の作り自体は極めて普通で偏差値50くらい。


中高一貫校でも、成績はいつも真ん中くらいでした。努力しても絶対に偏差値70にはならない頭の作り。なんならそのための努力もできない。


泣いても笑ってもポテンシャルには限界がある普通の人。


それでも、今人並みに会社で働き納税し、好きな人と結婚し、子どもを2人持って、少しは社会のためになりながら、自分の人生に後悔が少ないのは、両親が与えてくれた環境があったからと思います。


人を羨んだり妬んだり、自分のことを嫌になったり、こうだったらな、あーだったらよかったな、ってほとんど思うことない人生って実はほんとありがたい。


親が与えられる教育。選択肢を与え、資金を準備して応援するって、当たり前のようでみんながみんなできるわけじゃないと思います。


だから教育格差が生まれるわけで。

ポテンシャル大したことない人間でも、選択肢があり、自分の能力を最大限に発揮できる環境に身を置けば、切り開く可能性が上がるわけですから。


人生を切り開くことで人は自己実現をして、幸福を得ていくのだと思います。


振り返ると、両親にうまく促され、見守られながら生きてきたことに感謝なのですよ…。



——


かくして、自分の子どもに同じことをしようと思うのは当然のことなのですが、、、


それは凄く大変でした。


まず教育方針…夫婦で違うネガティブ


中学→大学院までずっと私立。

湯水のように教育散財をしてもらってきた私。


夫は大学までずっと国立・公立で、塾すらもほぼ通っていなかった…らしい。



関東では、中学受験は常識。

私立に通わせることが人生を豊かにする。選択肢多くなる。

と、自分の人生を振り返って、そう確信してる。


私は中学受験が親の義務。

当たり前と思っていました。


でも、夫は1mmも賛同しなかった。


「え?なんで?高すぎるよ、私立」


えぇーーーー驚き

いいよー、全然いいよー。

子どものために働くんでしょうが。


「しかも中学受験って、結局親じゃん!親が大変じゃん。おれ嫌だよ、ヒステリックに勉強させる親。

それに塾に課金しまくることになるし」


結局、やっぱり金なのか?

そこまでして投資にお金を使いたいのか凝視


夫との話し合いはずっと平行線。


私は自分の生きてきた道しか知らないから不安。


夫と息子は話し合いをして、私の知らないところで結論は出ていました。


「親の力がなければ合格できない中学受験はしない。自分の力で高校受験で合格を勝ち取りたい」


それが息子の口から語られたのが5年生の始めの頃でした。



自分の信じていた価値観「親の役目は中学受験させる」でしたが、その本質は受験させることではないことに気付かされました。


子ども自身が、自分の力で切り開くことが重要で、親は選んだ環境を全力で応援する。

中学受験するとかしないとか、そういう問題ではなかった。


だから、息子がそう決めたのなら、親は応援するしかないのでした。



長くなったので続きます。