つづき

4月6日
日に日に衰えていく父と同じく、年老いている上に入院中の母の体力も衰え、気力もなくなってきていた
夕方、疲れたのだろう、みんな帰っていた
母に至っては、もう最後の挨拶をしたから、今晩なにかあっても呼びに来なくていいと・・・

母には、その時が近づいていることがハッキリわかっていたのだろう
60年以上連れ添ってきたのだから

その晩は3姉妹で付き添った

みんな苛立ちもあり、ケンカしたりもした
日付が変わる頃、容体が急変した
姉は誰も呼ばず、3人で看取ろうと
うなずいた

息が出来なくて苦しんでいる父に、一緒に深呼吸しよう、息をいっぱい肺に入れてあげたら楽になるよ
父は声にちゃんと反応して、頑張って呼吸した
呼吸するってこんなに大変なことなんだ
父は生きたくて頑張っている、そう感じた

一生懸命話しかけた
治って家にかえろう
楽しかったね
父が心配していた母のこと、私たちのこと
大丈夫、みんなで仲良くするよ、がんばるよ
日付が変わり、どれくらいたったのだろう
一生懸命呼吸していた父の頑張る力が少しずつ弱くなってきて、その時が突然やってきた

頑張ったね、うちに帰ろうね
みんな待ってるよ

4月7日  父永眠

家に戻ると、母もおばさんも泣きながら待っていた
私は、非現実的な出来事に呆然としていたが、夜中なのに家中明るく大勢集まっている実家を見て、現実なんだと号泣した

後で1番上の姉が、亡くなるなら今日かなと思っていた、日付が変わる前、もう少しで日曜日だよ、もう少し頑張ってと心の中で言っていたそうだ

宗教的理由か田舎だからなのか、7日事に親戚が仏前にお参りしてくれる
日曜日に亡くなれば一週間後は土曜日、土曜ごとになり49日も土曜日
今は仕事してる人が多いから、皆さんに迷惑かけずに済むと日頃から話していたそうだ

お葬式の会場や式菓子も、昔ながらのお葬式をあげて欲しいと具体的に話ていたらしく、そのために年金の中から貯金をしていたらしい

会場の方が、個人の葬儀では近年ない豪華なお式だと言っていた
見栄っ張りの父、きっと満足しているに違いない


すぐ上の姉は、母を病院まで迎えに行った
夜中なだったけど、母は姉が病室に入ると大号泣し、姉はあの声が耳から離れないと

色々ありながらも(父と仲良くすると言った傍から喧嘩したり)、お通夜、告別式を終えた

そして母の2ヶ月がはじまる

つづく