ドラフト会議で一躍有名になったスカウト
1994年 鹿児島商工高校(この年から:樟南高校)時代、3年次には夏の甲子園で準優勝を成し遂げます。
そして、その年のドラフト会議にて、6位で広島東洋カープに入団します。
強肩の黒縁メガネ(一周廻って現在は流行か?)から、「古田2世」と呼ばれました。
1軍出場はプロ4年目から。28試合に出場し、プロ初安打も記録。
しかし、出場回数が一番多かった年は1998年に。
翌年1999年は12試合、2000年は22試合。
その後、2001年、2002年は1軍出場はなく、戦力外通告に。そのまま引退をします。
そして! 田村さんはここから裏方人生がスタート。
広島カープのスコアラーを経て、2004年からアマチュアスカウトへ転身。2017年現在も、スカウトとして活躍されています。
特に田村さんが、表舞台に立ったのは、2013年のドラフト会議。
長崎日大高校→九州共立大学の大瀬良 大地投手を5年間追っていました。
カープはその年のドラフトで、各球団の指名が重複した場合、担当スカウトがくじを引くことを決めていたそうです。
大瀬良 投手をドラフト1位で指名したのは、ヤクルト・阪神、そして広島。
ヤクルト:小川 淳司 監督、阪神:和田 豊 監督、その間に広島:田村スカウトと、不釣合いな画面に感じましたw
そして見事引き当てたのは、田村スカウト!!
「ありがとうございます。本当にうれしいです。やっぱり、自分が一番、見続けてきたので、絶対に当たると信じて、臨みました!」
この素直なコメントに、感動しました。そして、このクジを担当スカウトに引かせる、広島カープの一丸感がいいですね。
田村スカウトは他のインタビューで、
「スカウトの目線では、のびしろを重視しています。選手が24、25歳になった時の成長曲線を描くようにしています。」
とおっしゃっていました。
これからも田村スカウトの視線に注目です!!