「 ギャオス 」 といえば、この選手
ヤクルト → ロッテ → 中日 内藤 尚行 さん です!
マウンド上で、「ギャオー!」と雄たけびを上げるパフォーマンスをみせてから、愛称が「ギャオス」になりました。
1986年 愛知県にある、豊川高校からドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。背番号は「53」
同期入団には、土橋 勝征 選手、飯田 哲也 選手 がいました。
入団2年目から中継ぎとして活躍し、1989年には12勝8セーブを挙げ、オールスターゲームに出場します。
内藤さんの印象に残る対決といえば、この方じゃないでしょうか。
篠塚 利夫 さんです。
1990年 就任して間もない野村 克也 監督に開幕投手を任された、内藤さん。
3対1で迎えた8回 ランナー2塁で、左バッターボックスには、篠塚さん。
ライトポールぎりぎりの打球が、1塁塁審によって本塁打と判定。一気に同点となり、内藤はマウンドでうずくまりました。
結局、延長戦の末、ヤクルトは負け。
スローでは、明らかにファールだったような・・・。
1991年も開幕投手を任せられるものの、蓄積疲労が抜けず、登板は18試合に。
1992年も先発、抑えとオールマイティに活躍していたものの、シーズン途中に離脱。日本シリーズ登板はなりませんでした。
そして、1995年
青柳 進 捕手とのトレードで、千葉ロッテマリーンズに移籍。
開幕してすぐに、先発ローテーションに入り、3勝を挙げるものの、怪我で戦線離脱。
なかなか思うように活躍できませんでした。
そして、1996年 与田 剛 投手とのトレードで、地元愛知の中日ドラゴンズへ移籍。
ここでも中々活躍することはできず、1997年 29歳で引退しました。
引退後は、ラジオ日本を中心に解説・評論活動をし、2013年-2014年は、新潟アルビレックスBCの監督を勤めました。
現在も再び解説者として活躍中。
熱血な話し口調は、一発でギャオスさんだと分かりますね。