長く図太く が似合うこの投手
ロッテ 園川 一美 さんです。
高校時代からユニークなキャラクターと度胸ある態度で有名に。
1980年 九州学院高校在学中の2年次、春の選抜高校野球大会で2回戦敗退。
その後、日本体育大学へ進学。1984年に、首都大学リーグにて、春秋リーグ連覇に貢献します。
大学4年次の春、日米野球選抜に選ばれ、その期間と被ってしまった教育実習を辞退。
決意をしていた、体育教師の夢がここで絶たれてしまったそうです。
そして、1985年 4球団競合の末、ロッテオリオンズにドラフト2位で入団します。
1位が高卒の石田 雅彦投手であったため、この時に残した発言は、
「なんでこの僕が2位指名なんですか!?」
2年目の1987年には、先発ローテーション投手に昇格。
しかし、中々勝つことができず、30試合登板し、先発は20回 8勝9敗の成績を残します。
この年、13失点をするものの、先発完投を成し遂げるパリーグ ワースト記録を更新。
1988年は、33試合に登板し、10勝15敗 初の2ケタ勝利を記録します。
そして、あの有名な、近鉄とのダブルヘッダーでも登板。
2試合目の先発として登板し、以下のコメントを残します。
「ザマアミロって感じがありましたね。勝っても負けてもどうせ憎まれ役だってことは解ってましたから」
2ケタ勝利を達成したことに関しては、
「これだけ投げれば嫌でも2ケタ行くよ。」
1992年 本拠地は千葉へ。チーム名は、マリーンズへ変更。
1994年シーズンは、当時 オリックスに所属していた、イチロー選手によく打たれました。
18打席で、13安打 打たれました。
そして、イチロー選手は、前人未到のシーズン200本安打を達成。そのメモリー安打を打たれたのが、園川さんでした。
そのことに関してコメント
「いや、僕一人で200本打たれたわけじゃないですし。」
そして、1996年
この年は、伊良部 秀輝投手、小宮山 悟投手、エリック・ヒルマン投手を抑えて、開幕投手を務めました。
対戦相手のダイエーホークス 王 貞治監督は、読みが外れた悔しさも相まって、
「開幕投手には格というものがあるだろう」
と発言 笑
そのことを受けての、園川さんのコメントは、
「王さんが怒ってたって?そりゃあしょうがない。俺が 監督だって怒るさ」
とコメントしました。やはり返しが上手いですw
そして、1999年
マリンスタジアム最終戦にて、引退セレモニーを行い、現役引退
すると思いきや、その後のオリックスとの試合で敗戦処理として登板。園川さんらしい最後の登板でした。
通算成績 376試合 76勝115敗 先発登板回数は242回
怪我はなく、図太く投げる 肝が据わっている園川さん。
日本と韓国でコーチをされた後、現在はスポーツショップで働いていらっしゃいます。