ノーサインバッテリー | プロ野球カードとサイン

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アメンバー限定記事は主に球場でサインを貰う(インパーソン)際に更新しています。

80年代〜90年代のOB選手を中心です。

前回の記事 袴田 英利  さんで、あの常識外れの「ノーサインバッテリー」が揃いました。



投手: 村田 兆治 さん

捕手: 袴田 英利 さん


です。


当時、村田さんは150kmのストレートと、フォークボールで三振を奪うパワー型投手。


しかし、村田さんは視力が良くなく、サイン違いを連発。


袴田さんのパスボールが絶えなかったのだとか。


村田さんの性格は、わが道を行くゴーイングマイウェイタイプ笑 


それもあり、投球の合間がなく、どんどんボールを放るタイプで、サインを出している間にボールを投げてきたんだとか。


それで、袴田さんが思いついたのは・・・


「それだったら、球種がわからない状態で受けたほうが、体で止められるかな」


と思ったそうです。 逆転の発想ですね笑



1982年に、村田さんはトミー・ジョン手術を受け、その後3年間マウンドに立てなくなります。


そして、復帰戦。袴田さんがマスクを被り、村田さんは完投勝利!


復帰戦で、完投勝利しちゃう村田さんもレジェンドです。


そして、そこから日曜日に登板する「サンデー兆治」として、11連勝。そこには受ける袴田捕手の姿がありました。


1990年 村田さんは引退を決意。


引退試合では、若手にレギュラーを奪われていた、袴田さんを2軍から呼び寄せてバッテリーを組みました。


「俺のキャッチャーはお前以外にいないんだ。だから俺と共に去るんだ」


「お前とじゃなきゃ終われないんだよ」


と村田さんから懇願され、袴田さんは引退を決意されたそうです。



当日は、村田さんはスピーチと胴上げ。 


一人泣きながらベンチに戻ろうとしていた袴田さんを発見した記者が、


「やはり村田さんが引退となると寂しいですか? 」


と質問したところ、


「ていうか僕も今日で引退なんです」


と、袴田さんは応えていたそうです。


・・・とちょっと寂しい引退ですが、これが本当の、「投手を支える捕手」の形なんだと思います。