職人といえばこの選手
ヤクルト 土橋 勝征 さんです!
二重グリップバットで、ヒットを量産する選手のイメージですが、高校時代は長距離バッター。3年の夏の大会では、5本塁打を記録します。
そして、1986年 千葉県の印旛高校からドラフト2位で、ヤクルトスワローズに入団。
入団直後から打撃で伸び悩み、試合終盤の守備固めとして活躍。
その後、1994年から、バットを短く持ち、右方向に流し打つバッタースタイルに転向し成功。106試合を主にセカンドとして出場し、レギュラーを獲得します。
1995年から、角 富士夫選手が付けていた背番号「5」に変更。シーズン終盤から3番バッターで、守備はどこでも守る選手として、野村克也監督に重宝されました。
巨人の上原浩治投手や、中日 山本 昌投手はバットコントロールが上手い土橋さんをすごく嫌がっていました。
トレードマークだった眼鏡は、2002年にレーシック手術をします。
2006年あたりから、城石 憲之選手のレギュラー定着や若手起用の方針もあり。出場試合数が減少。
その年限りで引退をし、2007年からそのままスワローズでコーチをしていらっしゃいます。
今は、二軍の外野守備・走塁コーチ。 この前もヤクルト戸田球場で、原 泉外野手に指導をしていました。
現役時代、そして現在もヤクルトのコーチの中だと一番のタフサイナーです。
静かに熱い、言うことがキツめな土橋コーチ。今後も活躍に期待です!