赤ヘルの若大将といえば、
広島 → ヤクルト 小早川 毅彦 さんです!
サインが、顔の真ん中になってしまいました笑
高校は、PL学園高校。1979年の春の選抜に出場しました。そして、その後法政大学へ進学し、2年生の秋季リーグでは、三冠王を獲得しました。
1983年 ドラフト2位で広島東洋カープへ入団。
入団1年目から同ポジションの長内 孝選手を控えに追いやり、112試合に出場。ホームラン16本を放ち、新人王を獲得します。
1987年9月20日の巨人戦で江川 卓投手からサヨナラホームランを放ちました。このホームランがきっかけで、江川投手は引退を決意します。
オールスターゲームは、1984年、1987年に出場。
年号が、昭和から平成に変ってからは、メディーナや山田 和利選手などファーストを守る選手の増加により、先発を外れることが多くなりました。
1996年オフ 戦力外通告を受けます。
そして・・・
1997年 ヤクルトスワローズへ入団。くすぶっていた男が開花。
当時、ヤクルト 野村 克也監督は、小早川さんのある部分に注目します。それが・・・
「小早川は、大学1年(法政大学の4番)、プロ1年目(新人王)と門出の年に必ず活躍している」
という読みでした。
1997年 vs巨人との開幕戦。
小早川さんは、2回の初打席、エース・斎藤 雅樹投手から先制本塁打を放つと、1-2で迎えた4回に同点弾。さらに6回には勝ち越しの2ランと1試合3本塁打の大活躍を果たします。
野村再生工場で復活を果たし、12本の本塁打を放ちました。この年、チームは日本一に。
翌年も62試合に出場し、1999年に引退します。
その後、カープのコーチを2006年-09年まで勤め、現在はNHK野球解説、サンケイスポーツの野球評論家をやられています。
1997年の開幕戦の解説は、山本 浩二さん。3連発を観た浩二さんは、「こんな選手だったかな。」とおっしゃったそうです。
一発大きなホームラン♪ 大砲 小早川~♪
2016/04/24 カード追加