「屋鋪よりも速い」とされた選手
横浜 → ロッテ 井上 純 さんです。
1988年 東陵高校を初めての甲子園へ打撃で導いたのが井上さん。
その年のドラフト会議で、横浜大洋ホエールズより3位指名され入団します。
ちなみに、その際の同期入団者は、現中日の谷繁元信監督や、広島コーチの石井琢朗さんでした。
中々活躍できなかったものの、1995年の打撃フォーム改造で開花。プロ初本塁打を放ちます。
38年ぶりの日本一に輝いた、1998年は波留 敏夫選手の欠場もあり、前半戦は中堅手として活躍し、打率.330の好成績を残しました。日本シリーズも出場されました。
2002年 腰痛や足の故障、若手の台頭により出場機会が激減。年齢的な面もありシーズンオフに戦力外通告、自由契約になりました。
そして、テストを受け・・・
2003年 テスト入団で、千葉ロッテマリーンズに移籍。シーズン中盤からは3番スタメンとして定着しました。この年は、プロ最多の本塁打6本を記録。
2005年には、31年ぶりのロッテリーグ優勝のウイニングボールを捕球します。
2006年に戦力外通告を受け、引退。
そこから、横浜ベイスターズのコーチを任せられ、2013年からは地元宮城の楽天ゴールデンイーグルスのベースボールスクールジュニアコーチをやられています。
「今、純の魔法で流星になるよ~♪」 と 合いの手が「ジュン!」の応援歌が印象的なスーパーサブでした。