「元祖ハマの番長」といえば、こちらの選手。
大洋・横浜 → ダイエー 山崎 賢一 さんです!
所沢商業高校を経て、1980年ドラフト外で大洋ホエールズに入団。
入団後4年間はファーム暮らしだったものの、1985年に近藤 貞雄監督に代わり、機動力野球を打ち出します。その結果、機会が増加。32試合に出場し、プロ初ホームランを放ちます。
翌年、スーパーカートリオの加藤 博一選手の怪我もあり、出場試合数が増加。代打・代走とスーパーサブ的な役割を果たします。
山崎さんといえば、特徴的なバットです。グリップエンドがこけしの頭のような形をした「こけしバット」
これは、当時の二軍コーチの基 満男さんが長打を切り捨て、単打主義を徹底させるために考案しました。
この後に、ヤクルトの土橋選手などが真似をしていました。
プロ入り前のニックネームは、「組長」
入団当時の沖山 光利コーチが、「プロに入れば、ランクも下がるだろう」と考え、「番長」つけたそうです。
ちなみに、この「番長」は現在・・・
ハマの番長 三浦 大輔投手に受け継がれています。 決まってるーぜ♪リーゼントー♪
さて、山崎さんはその後、スーパーカートリオの一人の屋鋪 要選手の不振もあり、センターのレギュラーとして定着。1989年、1990年と両年で100試合以上出場しました。
しかし、その後腰痛により出場機会を失い、1993年 新生ベイスターズが誕生した1年目のオフ、若返りのチーム方針から戦力外通告を受けました。その後、直ぐにダイエーホークスからオファーがあり、入団。主に代打・代走として活躍をし、1996年に引退。
1998年のコーチ就任以外は、スカウトとしてホークスに貢献しています。
忙しい中、ご丁寧に対応頂き、ありがとうございました。