今日、3度目の投稿。生え抜きのプレーヤー
巨人 岡崎 郁 さんです!
1979年 大分商業高校で春夏連続甲子園に出場。当初は法政大学へ進学を希望していたが、長嶋茂雄監督の説得により、ドラフト3位で読売ジャイアンツに入団します。
背番号は、「45」。 当時、巨人の内野手は、篠塚利夫、中畑 清、原辰徳選手と層が厚く、出場の機会に恵まれませんでした。
更に肋膜炎にかかり、療養生活へ。1984年には練習生扱いとなる。ここが岡崎さんのターニングポイントでした。
翌年、一気に出場試合数を増やし、96試合に。 1988年には活躍が認められ、背番号も「45」→「5」と軽くなります。
それゆーけ、はじけるパワー♪それゆーけ、きらめくセーンス♪ かっこいい応援歌も作られました。
中畑 清選手の怪我により、サードのレギュラーに定着し、巨人の顔として活躍。
1993年には、4番打者も勤めました。
その後、1995年以降は、元木大介選手の台頭、仁志敏久選手の入団があり、出場試合数が減少。
1996年に引退し、背番号「5」を移籍をしてきた、清原和博選手へ譲り渡します。
2006年からジャイアンツのコーチとして復帰。2013年から二軍監督して活躍しています。
経営されていた、焼肉店「香おる」は閉店されたのですね。これからもがんばってください!