中日→ロッテ→中日→楽天 酒井 忠晴さん | プロ野球カードとサイン

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80年代〜90年代のOB選手を中心です。

今日3件目の投稿。お次も守備の職人



中日 → ロッテ → 中日 → 楽天 酒井 忠晴 さんです!


ドラゴンズが優勝した1988年 修徳高校からドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。指名では投手としてでしたが、直後に内野手へ。


1年目は1軍出場4試合だったものの、2年目の1991年から立浪和義、種田仁、仁村徹選手などのレギュラー選手の控えとして活躍します。



そのような状況が続いていた、1995年のシーズンオフ 



前田 幸長、平沼 定晴、樋口 一紀選手との交換トレードで仁村 徹、山本 保司選手と共にロッテマリーンズに移籍します。


移籍1年目は、背番号「12」。 空いていた背番号だったため、内野手っぽくない番号でした。


酒井さんは、移籍の機会を活かし、1999年にはサードのレギュラーとして106試合、2000年にはセカンドのレギュラーとして活躍します。


特に、ショート小坂 誠選手との二遊間コンビは芸術的な守備で、低迷期のロッテを支えました。


2002年オフ 波留 敏夫選手との交換トレードで再びドラゴンズに復帰。


しかし、2003年に同じく守備の職人でジャイアンツから移籍してきた、川相 昌弘選手に出場機会を奪われ、翌年自由契約に。



トライアウトを受験した後に、新球団 東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。


遊撃手、三塁手、二塁手の3つのポジションで、球団初期のレギュラーとして活躍しました。


2006年 若返りの方針から戦力外通告を受け、退団。


その後、萩本欽一率いる茨城ゴールデンゴールズでプレーし、2012年からBCリーグ 福井ミラクルエレファンツで監督を務めました。


そして2015年から古巣、楽天ゴールデンイーグルスの2軍内野守備走塁コーチに就任されました。



このサインは、TTM返信にて頂きました。確か、昨年の9月か10月に福井の事務所に送ったような・・・


消印は、「福井南 27.2.12」


ん?? 酒井さんはキャンプで久米島のはずじゃ??


どこかで停まっていたのかもしれません笑 忘れた頃にやってくるTTMは気長に待つのがいいですね!!