今日は、温厚なイメージがあるこの方
広島 → 南海 古葉 竹識 さんです!
1958年 所属していた日鉄二瀬(現:日鉄鉱業株式会社)の濃人 渉(元中日、ロッテ監督)の強い薦めで、広島カープへ入団。1年目からショートで88試合出場。
1963年には、巨人長嶋茂雄選手と熾烈な首位打者争いを2厘差で敗れます。(残り13試合で顔面へのデットボールが影響)
このデットボールがきっかけで、恐怖心が拭えなくなり、機動力を活かすプレースタイルに変更し、1964年、68年と盗塁王を獲得します。
1970年に、南海の監督&捕手をしていた野村 克也に誘われ、南海ホークスへ移籍。翌年に引退します。
引退後は、南海でコーチ・監督をした後に、1974年古巣 広島の監督に。
現役時代に培った、「機動力」をチームに浸透させ、1975年に球団初優勝。その後も3度のリーグ優勝・日本一に導きました。
その後は、1987年に横浜大洋ホエールズの監督に就任するものの、思うような結果を残せず、1989年に退団。
時を経て、学生スポーツを強化している、東京国際大学の硬式野球部の監督に就任。2011年の全日本大学選手権大会で、日本体育大学に競り勝ち、ベスト4まで躍進させました。
「耐えて勝つ」
これが、古葉さんの座右の銘。サインにも入れて頂きました。ありがとうございます。
