3.11 その特別な日
またあの日が巡ってくる
軽被災者と言われている私がどうこう言うのも不謹慎かもしれませんが
あれから10年、、昨年のその日も一番町や中央通りでは
多くの人が立ち止まり、時報を合図に黙祷していました。
東京でも当初は、アルタ前で多くの人たちが頭を下げていたが
年々その数は少なくなっている
政府主催武道館での追悼式も今年で終了とのこと
私はそれでいいと思う、ひとつの区切りとして
これからは、被災地が独自のかたちで追悼し、後世に伝えていくべきであろう
ただ、上京する度に思うのは、帰宅困難の恐怖
いつも心の片隅にはある
1978宮城県沖や2011を体験した者としては
ライフライン全断の恐怖と辛苦は筆舌に尽くしがたいものであるということ
震災から一週間、近くの中学校での生徒さんたちの活躍は今も熱く心に刻まれています
思い出してみてください
東京都心では、その日ライフラインは全断してましたか
続く、計画停電は事前告知の数時間ではありませんでしたか
1945.3.10の東京大空襲以後、壊滅的な打撃を体験していない東京人にとっては
想像できないことと思います
伝承についても、動画とかで安心していますが
果たして1000年後にそのメディアツールがこの世にあるでしょうか
VHSしかりですよ
その年月に耐えるのは石と紙しかありません、歴史が証明しています
震災後数か月して見た、区役所での鎮魂ロビーコンサート
多くの人が涙していました
そして、少しずつ、仙台羽田の臨時空路や、新幹線の復旧
本当に嬉しくて、ただ嬉しくて
震災の様子は地元の新聞社が3.11の翌日にも配達してくれたので
これは、小説、tvドラマ化されましたが
仙台は東京渋谷新宿の空間放射線量よりも数倍高い状態は二年以上続きました
福島に至っては、桁が違う数値がその後、6年程度続きました
福島駅の新幹線ホームに降りて簡易計で計るとくやしくてたまりませんでした
震災から電力が復旧するまでの数日間
夜通し飛ぶヘリの音,満天の星空、続く下層寒気による積雪低温
これほど雪をうらめしく感じたことはありません
車に積もった雪を集めて、トイレ用としました
原発のことは新聞でしりましたが
管総理や天皇陛下の言葉にただ涙していました
絶対に負けないぞと
大手コンビニやスーパーが開店まで一か月近く要したのに
身近にある地元の商店ではありあわせの炊き出しや供出をしていただきました
さて、3.11のあの日あの時、あなたはどこで何をしていましたか
被災した人だからこそ言えること、だから何を言っても遠慮はいりません
否、残された人たちだからこそ言うべきなのだと思います
お酒考
数日程度の禁酒日を設けても
禁酒明けには、より多く飲みたいと意気込んでいるので、逆に体への負荷が大
さりとて毎日ちびちびも苦しかろうて
何か自分にとっての大きなイベント日限定にすればいいのかな
酒を飲まない、飲めない人がうらやまし
というか、断酒すればいいんだけど
脳が酒の快感を覚えて、がっつりとシナプスの太い回路が出来上がっているので
これは至難技、薬物とかなんとか依存と同じ脳内回路になってしまっているからね
昔の酒強要文化は酷かった、今はそういう時代じゃないから幸せだね
ホテルのキャンセルポリシー
一応予約する時に規約であるけど
実際にキャンセルすると今回はけっこうです
というケースも多い
先日、東京で夕方会があったのでホテルを予約していたが
どうしても都合がつかず急遽キャンセルした
電話口の男性はなんだか感じわるそうな声
こちらもすかさず、口座を教えてくださいと言った
で、実際に払ったから、それでいいのだが
どうなんだろうね、きちんと請求してるのかな
それともわざわざ口座教えて下さいと言ったほうが馬鹿をみるのかな
ホテル業界でそのあたりの、請求と支払いの統計を出したらいい
キャンセルポリシーはうたっているけど、実際はざる
逆に正直に申し出た者は支払う
まさか、そんな不公正なことは無いよね!?


