霊的な存在に関わる家系に代々伝わってきた瞑想法、明鏡止水について書いていきます。
明鏡止水ってそもそもなに?
いまの世の中には様々な瞑想法がありますが、突き詰めていくとその根本となった瞑想法です。
ハッキリ言って誰にでもできますが、人によっては続けるのは困難のようです。
明鏡止水は基礎中の基礎、訓練法にしか過ぎない
明鏡止水は人間が本来持っている感覚を研ぎ澄ませて、それをさらに発展させていくための訓練法にしかすぎません。
感覚を鋭くすることで相手がどんな人なのか?
何を望んでいるのか?
交渉などの席でどうしたら良いのか?
上記のような事柄に対して先手を打てるようになってきます。
どんなことができるの?
最も身近なのは美味しい料理を出してくれるお店がわかったり、スーパーなどで食材を吟味することができるようになることです。
スピリチュアル系の方が好んで良く言われる天使が見えた(そもそもいないのに?)り、竜を使い魔としてこき使うことができる(核爆弾の爆発を素手で止めるようなものなのに?)ようなことはまずありません。
当たり前ですが神や仏と対話したり、見ることができるようになることはまずありません。
自分と向き合う、知る
明鏡止水で一番の利点は
『自分と向き合い、知る』
ことだと言えるでしょう。
怒りや妬み、嫉妬、憎悪、喜びといった喜怒哀楽と向き合うことで、己の中にいる
『もう一人の自分=真我(しんが)』
と向き合うことになります。
その真我と向き合い、自分が何をするべきなのか?
これから何をしたいのか?については通常は膨大な時間と、それに伴う努力が必要になってきます。
それらを明鏡止水を行うことでゆっくりと、確実に己のものとしていきます。
その先にあるものを知ることでようやく『悟り』と言われるものを得ますが、そんなものはすぐに霧散して消えてしまいます。
悟りを得る=真我と向き合う、知ることで満足しているようでは本当の意味で明鏡止水を身に着けることはできません。
人の中に我を見て、我の中に人を見る、知ることでようやく明鏡止水という者を身に着けることができます。
そこまでいけて初めて目に見えないものを知り得て、触れることができないものに触れて、感じることができないはずのものを感じていくようになれます。
訓練期間は最低でも一年~二年
明鏡止水の基礎を身に着けて、そこからさらに常時できるようになるまでは最低でも一年~二年はかかると覚悟しましょう。
その間に様々なもの(見えない者達からの妨害)を経験することになるでしょうが、それに対する方法も自然と身に着けていくことができます。
その過程で様々なこと(例:ヒーリングなど)ができるようになったとしても、それは一滴の水滴をほんの僅かに掬い取った程度のことでしかありません。
それで慢心してしまうと欲にまみれて己を垣間見ることはできません。
せいぜい心なき存在(要は悪霊や妖怪の類など)に騙されて、あなたにとって大切なものを失うことになるだけでしょう。
亀の一歩でも行えたらそれで充分
一日のうち僅かに1分でも明鏡止水ができればまずは充分です。
焦ってやればやるほど本質的なもの=真我からは遠ざかっていきます。
それならば亀の歩みであったとしても確実に成長することができればその方が余程良いです。
まずは焦らずにゆっくりと行っていくこと。
先達となる者は今のあなた達と同じような(あるいはもっと?)苦しみを味わって、そこを通り抜けていまあなたに伝えています。
迷ったり苦しんだりすることがあればその時に遠慮なく先達である存在に問い質せば良いだけのことです。
最後に
明鏡止水はあくまでも入り口にしかすぎません。
形なき水の如く我が身を転化し
風の如く一時も留まることをこれ知らず
火の如く優しく包み込み
大地の如くその場に踏み止まる
それを体得するための一つの手段でしかありません。
身に着けるまでには困難があるかと思いますが、少しずつ一歩ずつ歩いていくことをお勧めします。