どうしても、GLAYのファンになろうなろう、とするがやけど



どうにも、なる気がせん。



というか、踏み込まれ過ぎて



ファンとかそういう対象ではなくなった



あれは、もう



友達やね。



すまんけど

大の大人に対して大変失礼やとは思うけど

友達感覚になってしもうて、それをGLAYという対象物に対して、大好きなファンに戻そうとしても、全然無理やね。



感覚がもう戻らん。




なんながやろうと数時間考えて


これは友達って感覚やろうなとやっと腑に落ちた。




大変相手方には失礼やとは思う。




でも、感覚の変更は無理やね

今までの霊界での騒動があってから

こうなってしもうた経緯があるけん。








今年は楽な生き方をしたかった



楽な生き方とはなんやろうと思うたら

努力をしないことやった



なんの努力かと自分はわからんかった

人を理解するにあたって

一人は嫌やとゆうてつるむ事に付き合っていた事が、そもそもの病気の始まりやった



親とおる事が何に苦しく何がしんどかったかって

私を一人にしないでしょうね?

私を裏切らないでしょうね?

私の知らない所で裏切ってないでしょうね?

私に寂しい思いを一瞬でもさせないでしょうね?



という事に対して、ずーーーと隙もなく相手をして接していて  



私はそれも数年前に反省した

仮面夫婦と親が言われていたのは、本来それを夫に持つべきものだったのを、絶対的な子にもって私が答えたが為に、夫婦の信頼関係が手薄なものになって浮気が起こっていた事をよくわかっていた。

だから私がその家から離れればトラブルは絶対に起こる事は100%の勢いで昔からわかっていた。

しかし妹が大きくなったから、実の二人の娘に任せて私はその家から離れて、私の半分しかできない役目を妹にさせたのだ。

やけん私がおる事でその家族は本当の家族にはなれなかっただろう。

どちらにせよ、私が退いても本当の家族が何かわからない時間を過ごした二人は普通の夫婦ではいられないだろうが。

妹がいるからなんとか離婚はせずにやるだろう。

だから離れる時はもう関わらないつもりで離れた。

その代わり、関わらないつもりなので、手を抜かずにやりきってきたのも本当のこと。

妹の事もしっかり育ててきた。







私は幼少期に一人でずーーーと遊んでいたので


一人が悪い事、怖い事とは思わんかった



ただ、友達がいない人とゆう事を思われて恥ずかしいというのはあっても



その為に無理をしてつるむ事の方がよっぽどしんどいので、無理をしなかった



思えば、中学も小学も

つるまれてはいたがつるんでこなかったので

私の元にはつるんでいた子達と少しいざこざがあって一人になった子が、一人になるのが嫌で寄ってきて一時おって、また元のグループに戻っていくという、そういう時になんか呼ばれて一緒におるぐらいで

後は適当だったなーと思うたわ。



やけん常に誰かとおる事はなくて寄ってきた人とおるだけやったと。




親は親で金を出されている立場で育ててやっているのだから、妹の世話をしろ、風呂や洗濯をする為に5時にはもんてこい、あの友達とは付き合うな、家に友達を入れるな、私の勘に触らない子なら良しとする



といろいろとあった



まあ、それに合わす事に翻弄されたもんだ



まったく



次はやっと学生が終わって自由になったと思えば

人が理解できてない、心もできてない、国や歴史をお前は背負う責任があると神様が見えだして




そしてやっと自分の修行が去年終わりを迎えたと思うたら次はGLAYが出てきて、人が自分にくっつくという目におうたろ




いくら自分に興味がなくても向こうから出てきて

ファンとゆうより友達感覚になるほど勝手に出てきてしまった



別にそれをどうこうゆうわけじゃない



そうなったもんはそうなったがやけん






よし子もいくら腹がたとうとも、結局は一緒におる



何をゆおうがよし子の友達ともおる




別にうちが一人で大丈夫であるとか

一人で大丈夫じゃないのが人間で理解をしようとか

そんな馬鹿げた理解をできない事を悩もうが悩むまいが



そんなのはお構いなしにそれらは人生についてくる。





私は人の不満や恐怖が、一人である事が怖いという感覚から来ている事の理解をしようと思った



それを察知できるから、人が一人である時に、人が一人になろうとしよる時にわざと声をかけて、暗い所に行くのを邪魔していた



かというて、わたしが一人である事は楽なことであって、確かに寂しいけどそれを抑えれば暗い事ではない



人がおってその寂しいからくる不安や恐怖や心配事からくるいろんなあがきで被害を被ってしんどい事を沢山経験した



かというていくら側にいてやっても、それはそういうものだからキリがない



だから私はそれに合わせるのは

自分の性に合わないからやめる

無理をさせてきた今まで

それは神様が願ったからやってきた面もある

常識も身に着けないかんかったし

礼儀も身に着けないかんかった

いろんな事があって

やってきたこと



理解をするならそれそのものになればいい、そしてそこから立ち上がる経緯を経験すれば、人が寂しくて道を間違える心理が理解できるだろうと思うてそれになっちょった。





しかし、正直いって私は怠慢である




今日霊界で竹を渡されてきちんと物差しで測って組み立てなさいと言われた



物差しでは測ったし、マーキュリーペンできちんと線も引いたよ




でもよ、ノコギリって面倒やんか



そこが割れたらええわけやけん


ノコギリなしで足で割った



つまりはよ



組み立てればええわけやんか



きちんと組み立ったらええわけやろ



どこによ、ノコギリを使えとかあるのか?



足で割ってそこをヤスリかけたらええ



線通りに割れたらええがやけん

何で割ろうとも




それをさっき霊界でやった時に




ああ、そうよ




自分の性格はこれやったとなんか腑に落ちたがよね



国の事はちゃんと見るよ



仕事も監査が入る所はちゃんとやるよ



けど、人間関係も、物事も、人が死なん事って



面倒


やけん

こうしてやってきたなー

それでちゃんとした神様がれいかを躾けてきたなーって


あーこの性格は、着物のおばちゃんらの神様にはほんまに嫌われるなー

やけん頑張りよったなーちゃんとすることを、と



でも身体が痛かったがよねーと

無理をするけん。




袴のおんちゃんらの方にもいかんし、着物のおばちゃんらーの方にもいけんし



結局どっちの神様にも行けれんのが自分ながよねーと



思うた事よ。




神様というのは人間でゆうと超人や完成した人でね。




うちはいっつもそんなものは関係なくて、どーでもええやんと思う




ただ、人を蹴ったり自分たった一人の利益だけで殺したりしたのがわかったら



どの神様よりも無慈悲に相手を殺すだけで

そこも興味がないがよ



神様らは人を成長させないかんってゆうけど

もう、面倒くさい、殺したらええやんってゆうがやけど

皆が止めるわけよ。



死んだらええ死んだらってゆうがやけど



それを人をわかってないとか、理解してないとか

泣かれて苦情言われて神落ちを救えと言われて、挙句身体の権利も取られたろ




血筋にはやられるぜ。




先祖が強いけん。




親にも散々やられて、人にも散々やられた




まあ、人間にやられただけで

人からは気持ちを沢山もろうたりもしたし



そうやね

JIROに関しては気持ちを直で霊界で貰い、直で助けてもろうたし

あの手この手で何かをしてもろうたね




ほたくっていてもこんな事が人生であるもんよと思うて




そういや言いよったわ

人生に起こる事に流れていけばええと




まあ、きつかったけど。





ん〜

一人は寂しいといいながら

じゃあ人とおればそれが埋めれるかって

数おっても一人で寂しい人と恥をかくことを免れるだけで、寂しいのが埋まるわけじゃない




やっぱり自由におって、それがいいねと寄ってきてくれる人がおればそれは馬が合う事で楽しく無理せずにおれて勝手に寂しいのもまぎらって楽しくおれることで。





たぶん寂しいのはまぎらっても消えるものではない。




寂しいがあるけんええ方向にいけば人は人との繋がりを大事にするし、人と手を取り合うにも最後はなるろう


寂しいがなければ利益も損得も生まれはせんろう



生きる欲求も寂しいが基本にないと欲があっても発動はせんだろ




魂と脳の合致点としては寂しいというのがあるろう





悪き事ではないにしろ




プライドで使うのか

恥をかきたくない自尊心で使うのか

優越感を満たすのに使うのか



人との繋がりが何を生むかを知っているGLAYなどは愛情で使うだろう



昨日ライブを見て思いよった



TERUさんはドラムをやった方が向いていて、ボーカルはラルクやガクトとか、それこそBUCK-TICKや氷室みたいに、ずば抜けた魅力と能力とセンスを持った人がなっていたら



まだ20万人より上を行ったろうと



その代わりバンドは早めに解散になっただろうと。




なんてゆうっけカタカナ、横文字で本人の個性が人を魅了する事




そこまで出てきているのに、忘れた




あ、カリスマやカリスマ。





まあけど、そんなもののファンにはならなかっただろうね。




GLAYはバランスがいい

皆が横並びになって

ボーカルが飛び出すぎるわけでもなく

リーダーがサブになっているわけでもなく

ベースが存在感がないわけでもなく

ギターが個別に分離して爆走するのでもない

きちんとしたバランスを保ってグループとして皆が横並びにおる


それはどれか一つが唐突に飛び出過ぎた能力を持たなかったが為にやろう


桑田佳祐のところも仲良くやりよるでね。





仲良くが一番、尊重し合うが一番長続きする

やけど年月が経つにつれて下降はしていく

ファンの高齢化と若い世代の増加

メディアや雑誌に載らない分過去の歌は忘れさられて

この社会状況が人の生活を苦しめる




もしも生き残れるバンドがあるとすれば

今この時期にどれ程人を支えてやれる程の金を出せて気持ちをやれるかってバンドやろう



このクソ物価が高い中で、好きな物にどれ程金をさけると思う


気持ちをくれない

大手に縛られた、雇われたアーティストは本当の実力勝負となる中で



さて、人の為に、と立ち回れる金持ちの自由なお方達とそのスタッフは



今年




金と生活に辛い状況の人をいかにライブに呼べて気持ちをあげれる程にできるかな。




自営業の自由さの本気の勝負どころって



社会が傾いた時やと思うで。




なんの為に自由になったがやろね。





自分達の為に、自分達の好きな事をする為に

ファンが必要なその仕事を

そうして選んでいるのだから。





私は国の立場としてはそう思う。