この理論はただ充実感の話をしているのではありません。

まず第一に、人はつねに充実した領域から”つまらない・だるい”といった領域に時間がたつと自然に移行してしまうことが指摘されています。

これが”なんだかこのごろ倦怠期”ということなのです。
人間が高等動物あるがゆえに、一定の時間が経過すると”なれ”が生じます。
それこそ”あきた:つまらない”というものの正体なのです。

充実感を維持したければ常にある程度の挑戦をしなければならない。
これは避けることのできない事実のようです。

このことを踏まえて第二点としては、この3領域を分割する2本の線は、人・トピックスによって様々に引かれます。飽きっぽい人(狩人タイプ)、あきにくい人(農民タイプ)というように命名しましたが、2本の線が垂直に近い人はすぐにあきて次のことをしなければいけないし、水平に寝ている人は、いつまでたってもあきませんから新しいことに挑戦するようなことはしません。(図)
人には固有のこの2本の線が、時期、トピックスなどにより決定しており、さまざまな要素でその線の角度は決まってきます。

第三点として重要なことは、”充実感は狩人、農民でそれぞれ等しく感じるチャンスがある”ということです。
幸せな瞬間は、”充実領域”にいることですから、どちらのタイプにせよ等しく幸せになるチャンスはあります。
社会的には狩人の方がより能力が高く、成長するスピードも早いため報酬も多くなることが想定されますが、かならずしも幸せかと言う面では疑問が残ります。

農民タイプの人がむりに狩人になることや、その逆も不幸にしかならないと思われます。
自分のタイプを認識して行動することも重要なようです。

このフローの考え方は、個人の幸せのみでなく、文化人類学的な人類の文明の発展に関しても示唆を与えてくれます。
”飽きる能力”こそ、人類の文明を開発してきた原動力であると私は考えます。文明とは新しいことに挑戦するその姿勢によってもたらされたものです。
飽きる力があったから、新しいことに挑戦して来た。
これが、人間とその他の動物を決定的に分けた要素です。

飽きっぽいことは常に批判の対象ですが、ずっと飽きないということは逆に発展をもたらさない・・・・・その事実にこの表は気づかせてくれました。