ツイッターをやっていると、色々な意見や情報を得られるので、本当に良いメディアだなと感じる。


ネットが世界を変えると本当に思うし、テレビや新聞などの既存メディアに情報を頼ることは非常に危険だと思った。


それでこれは良いと思って、周囲の人をツイッターに誘うけれど、あまり乗り気じゃない人の方が多い。


もったいない!


そう強く思う。何事もやってみないと分からないし、情報を常に仕入れていることは、何より、今後の自分の人生を有意義なものにする。


特に、田舎や地方は最新の情報に触れる努力をし、社会や世界の流れを把握していないと、今後ますます衰退していく。


それは地方出身者や地方を元気にしたいと思っている有志にも当てはまる。


みんな、ツイッターやろう!


ツイッターじゃなくても良い。Facebookもある。


それらを活用して、一緒に社会をもっともっと良くしていこう:)

ジージージージー、ベイビーベイビーベビー♪


少女時代「Gee」


なんと言っても、最近の私の流行りは少女時代です。


KARAも好きだが、少女時代の真ん中の黒髪のミステリアスな女の人に惚れています。


そういうことです。
誰しも情報をオープンにすべきと言っておきながら、権力側の立場になると、絶対に情報はオープンにされない。みんなそこが知りたい。そこを皆に知らせるのがジャーナリズムの役割。


情報を仕入れる際、どうしても権力側につかなければ仕入れられない情報がある。それの象徴が記者クラブ。ジャーナリズムの矛盾であり、微妙なとこ。間違いではない。必要悪。


必要悪を批判するのが、上杉隆さんをはじめとする(ゴルフ)ジャーナリスト(笑)これもまた必要。


権力側、記者クラブ側、(ゴルフ)ジャーナリズム側、全ての側の鬱憤?正義感?を抱いている人々の結集が、ウィキリークスを代表とするネットジャーナリズム。私はこれは本来の民主主義だと思う。なぜウィキリークスが批判されるのか分からない。


ネットジャーナリズムに批判的な人々は、「そこには責任が伴わない」と言う。しかし、その「責任」とは何かを述べていない。誰の誰に対する責任なのかを。


今のところ、民主主義が地球上に存在する最善のシステムだとするならば、民主主義を民主主義たらしめるべき「情報をオープンにする」ことこそが、全ての人々が全ての人々に有する「責任」なのではないだろうか?


情報は「公開と隠蔽」のバランス感覚の問題なのだろうか?私はそう思わない。公開した上で、一人一人が自らの頭で考え、判断する。その必要性が、時代を重ねる毎にますます高まってきているだけの話だと思う。


ただそこには外交がある。その際、情報を独占・操作している陣営との駆け引きが出てくる。結局、ウィキリークスに関連する情報公開の問題は、その本質は、情報云々の話ではなく、「体制の対立」の話なわけだ。つまり、大衆情報時代になり、「冷戦」が終結していないことが判明しちゃったわけだ。


そう見ると、今の時期に朝鮮半島が厄介な状況になっているのは、1950年からの状況とすごく似ている。東と西の対立。60年以上経って、結局、政治の面ではほとんど変わってないじゃん!


日本はTPPの話もあることだし、ついでに、「拒否権なき参加国総平等の民主主義国際連合」の創設をぶちあげてみては?意外と面白そ~じゃん:)本部はピョンヤンか台湾か普天間跡地あたりで(笑)


てか、東と西の「冷戦」にプラスとしてテロが加わるから、これはハンチントンの『文明の衝突』やないか!