むかしむかし
高校生くらいだった頃
私はバンドにドはまりしていた。
モンパチ、ゴイステに始まり
ELLEGARDENに10-FEET、
藍坊主、マニラバ、ロットン
週1以上ライブハウスに行っていた時期もあった。
ほんとに懐かしい。
そんな中でも特にあるバンドだけは特別な存在だった。
それは
ジャパハリネット
愛媛県松山市のバンドで
ボーカルがリーゼントに
ぼろぼろのジーンズという当時でも哀愁があった。
毎回、ライブ直前には好きすぎで吐きそうになったり
最後には号泣して帰ってきていた。
曲も歌詞もものすごく
心に刺さるような深いもので
当時、夜間大学で余裕なく毎日を過ごして
疲れていた私には涙が出るほど響いた。
そして私が21のときに
片親で大好きだった母が突然、
くも膜下出血で天国に旅立った
若い私たち姉妹にはほんとに目の前が真っ暗になった。
そんな中、支えてくれた
生きなきゃいけない思わせてくれたのがジャパハリネットだった。
ジオラマの花
この曲が母を思っているようなそんな気がしたり
物憂げ世情
「はにかんで心から愛する人がいるのならそれだけでこの今を生きた意味があるでしょう」
という歌詞に何度たすけられたか…
そんな中2007年にジャパハリが解散することに。
目の前が真っ暗だった。
解散ライブツアーで回ってくれて
郡山、仙台、東京と三日連続参加しました
その間、ジャパハリを通して仲良くなったしいちゃんと3人で大号泣したのを覚えている。
数年後、東日本大震災が起きた。
大好きなしいちゃんは石巻に住んでいた。
ともりんも松島だし
ライブ友達はみんな沿岸部だった。
何回電話しても繋がらなくて
不安で不安で
毎日、毎日、姉と二人で泣いていた。
1週間後、しいちゃんから電話があり無事を確認。
やっぱり自宅アパートは浸水し避難して自衛隊におんぶで助け出されたとの事だった
電話口でお互いに大号泣した。
送ってもらった‼
そのジャパハリが2015年に再結成した。
仕事を持っているメンバーもいるので西でのライブを中心に活動していたのだが
来年2月に11年ぶりに仙台でライブをやることに。
なんか同窓会みたいだね~って話していた。
きっと泣いちゃうだろうな。