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竜の尾っぽの子廻屋

尾道暮らし。お寺の掃除請負、ゲームイベント開催、メッセンジャーな個人事業主。
ネガティブな人間がスローペースででも変化するさまを実況しつつ、好きなものについて書いてます。

二次創作【Pixiv】http://pixiv.me/habyy

 

同じ怒りの感情でも

 

人に話して反論されたりドン引きされる時と

あるある〜とかそれはひどい!ムキーとか分かってもらえる時と

その違いって温度なのかな、とふと思った

 

 

100度の沸騰したお湯は飲めないけど

 

60度のお湯なら飲める

 

 

 

消化しきってない感情は激しすぎて受け付けない

(条件反射的に反発されたり、ドン引きされたり)

 

ある程度消化してる感情は冷静に受け取れる

 

 

同じ仕組みなのかもな〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小説書いてる時、頭の中で編み物をしているようなイメージがわくあん子さんですこんばんは

 

編み物…しないんだけどね…?

やってリリアンしたことがあるくらい?

 

↓わかる?こういやつ

 

 

↑みたいな道具に糸をひっかけてってひたすら編んでくの

編むのは良いけど、これどうしたらいいん?ってなっちゃうのよね

 

 

 

まぁ、それはいいとして

 

 

 

どうもあん子さん、心の奥底で「愛されてない」っていう思いが強いみたい

 

「愛されてない」ってよく心屋さんとかHAPPYちゃんとか、心理系の本で話題にでてたけど、今までなんかピンとこなかったんだけどね

 

 

 

本当はお母さんは私のことを愛していないんじゃないか

 

本当はお父さんは私のことを愛していないんじゃないか

 

 

もやもやとしていた部分が薄っすらと見えて

そこに穴があった…みたいな

 

 

あ、それあったの?

 

みたいな

 

 

実際は泣いてたよ?

 

でも泣いてる時に頭の隅っこ冷静な部分あったりするじゃない

 

 

不思議ね

 

此処で言う「愛されてる」ってなんなんだろうって思った

 

 

 

 

別の時にだけれどね

 

「私を誰かに投げないで」

 

っていう感覚も出てきたの

 

 

例えばさ

 

 

用があるから誰かに預けるとか

 

病気になったから医者に見せるとか?

 

 

育ってみれば

 

 

生きていく上で仕方のないこと

 

自分の手に負えないからプロに任せる

 

 

そういう理屈はわかってくる

 

だから奥底に埋めちゃったんだろうけど

 

 

 

どうもね

 

 

私が煩わしいから、面倒だから誰かに投げるの?

 

私は迷惑なの?

 

 

みたいな感覚があったみたい

 

 

 

だからさ

 

それが嫌だったならその反対が望みだったとしたら

 

 

 

一緒にいてほしかった

 

相手してほしかった

 

感情をわかってほしかった

 

さびしかった

 

 

 

 

 

「安心したかった」ってことかしらん?

 

 

 

愛を安心した時に感じるんだとしたら

 

 

 

 

安心するように、意識してみようかな、と

 

 

 

思ったあん子さんでした

 

 

 

 

 

あけましておめでとうございます

 

こしあんあん子、もとい子廻屋のあん子でござい

 

去年は後半から書かない日々が多く

 

今年はもっと書きますとは言えないのですが

 

それでも気が向いたときなどにちらりと読んでいただけたらと思わなくもないです

 

 

いやなんか、そもそもブログって何で書くんだろうとちょっと迷っています

 

ブログと言うかアウトプットね

 

 

 

まぁ、それはさておき

 

オタクで腐女子なBLのお話

 

 

あん子さんは固定中と言われる

 

いわゆるキャラクターがAとBがいたとして

 

カップリングが読めるのは「A×B」のみ

 

「B×A(逆カプ)」

 

「ABA(リバ)」

 

が駄目な人

 

 

どう駄目かと言うと

 

BAという文字だけでしんどい

 

イラストをちらっと見えてしまってもしんどい

 

だから精一杯見ないように心がける

 

 

ひどい時は泣くからねえーん

 

 

辛くて悲しくて涙出てくるからね

 

自分でもなんでこんな苦手なの?って疑問に思うよ

 

 

だって、逆カプもリバも読めた方がお得だもん

 

楽しめたほうがいいに決まってる

 

ってか

 

逆カプさん達が描くイラストとかが私の好みっぽいんだよねぇええええ!!!

 

その絵柄でABを描いて欲しいいんですよこっちはぁああああ!!!よだれ

 

でも趣味が違うんだからそんなこと望めないんだ分かってるんだ

 

私が変わるしかねぇんだよなぁネガティブ

 

 

自分の心が狭いんだ、他の人達の方がキャラの見方が正しいんじゃないかって

 

自分は捉え方がおかしいんじゃないかって考えちゃう

 

 

でもきついのよ

 

 

今日もうちょっとだけ深く踏み込めたんだけど

 

私が好きなのは大体上記だと「B」というキャラ

 

そしてほぼ9割「受け」として扱ってる

(唯一の例外はアタル兄さん。あの人大好きだけどあの人は攻めだ。間違いねぇ)

 

そのBというキャラに

 

 

 

誰かを求めて欲しくない

 

好きな相手と付き合うおうと頑張って欲しくない

 

ひどいことしないで欲しい

 

無理やり相手に迫らないで欲しい

 

みっともない真似しないで欲しい

 

嫌われるような真似しないで欲しい

 

犯罪者みたいなことさせないで欲しい

 

気持ち悪いことしないで欲しい

 

相手の領域に無理やり入って好き放題する無法をして欲しくない

 

 

 

なんか、そういうネガティブな感覚がどばっっと出てきた

 

 

求めて相手にそっけなくされたり

 

嫌われたりするのを見たくない

 

相手に好かれる自信がない

 

すがりついてもっと嫌われるのが怖い

 

 

ここらへんも合わせて

 

たぶんというか確実にこれ私の認識の問題だわ真顔

 

 

対人、特に恋愛関係とか怖くて到底足を踏み入れられない

 

家族だって未だに緊張する

 

別に虐待とか受けてたわけじゃない

 

けど上手く自分が出せない

 

出すのが怖い昇天

 

 

 

自分の好きなキャラが

私の怖いと思うことをしている姿を見たくない凝視

 

 

 

かなぁ、と

 

 

 

同人のいいところって

 

自分の好きなキャラが

 

自分の「こういうことを幸せだと思って欲しい」っていう

 

「望む形の幸せを幸せだと思うキャラ」が見られることなんだよ

 

みそなのは、その幸せは「そのキャラが幸せだと思うだろう幸せ」じゃないこと

 

例えば「家族を持つことが幸せ」と書き手側が感じてほしいから

 

あくまで「書き手、読み手がそのキャラが家族を持つ幸せを手に入れる」姿を書くことが出来る

 

 

 

これって現実でも起こるやつで

 

「サッカーをするのが楽しい」子供に、

「サッカーよりも勉強する楽しさ」を感じて欲しい、とか

 

「趣味に夢中で育児に興味ない」夫に

「子供を育てる幸せ」を感じて欲しい、とか

 

「家事が苦手で仕事が楽しい」妻に

「家庭で家族に尽くす幸せ」を感じて欲しい、とか

 

そういった他者が変えようのないものが

 

同人誌に限らず、紙の上では可能なのですよ

 

 

 

 

待って何の話してるの私無気力はてなマーク

 

 

 

あーっと…

 

 

まぁ、うん

 

結構根深いので

 

毛穴からスポット角栓を取り除くが如くは

 

逆カプが大丈夫にはならないかもねぇ

 

ってことで

 

 

 

 

ぐんない

ふとん1ふとん2ふとん3

 

 

 

 

 

ネガティブよ

 

 

 

頭がぎゅうぎゅうと痛んだり悲しんだりで

出てきた2つ

 

 

 

 

『空白に詰め込まれたくないから楽しいで詰める』

 

私の中の空白を、せっかくだから、もったいないから、何もしないのは無駄だからと役に立つもので詰め込まれるという感覚があると気がついた

 

だから私が選んだもので先に詰めないといけない

 

そうしないと別の誰かに私の中を占領されてしまう

 

なんでもいい

 

面白いと思ったもの、なんとなく読みたいもの

 

でもやりたいなと思っていたものだったり、読みたいと思ったものだったりと微妙に違う気もするのですよ

 

SNSだったりまとめだったり

 

そうなんだけどそうじゃない

 

けど手を伸ばしてしまう

 

読みたいと思ってしまう

 

それで満足なんじゃなくて

 

後でそんなことせずにあれをやっといた方が良かったのにって思ってしまう

 

繰り返して

ちょっとした強迫観念じみているかも

 

私が欲しいのは空白なんじゃないかな

 

なかなかむずいわ

 

 

 

もうひとつ

 

 

 

『人生が借り物でしかない』

 

 

 

子供の頃って、衣食住を親に用意してもらうじゃない?

 

それって結局親に借りてるものなんだなっていう感覚があるというか

 

私のものだけど、私のものじゃない

 

最終決定権は親にある

 

だから文句も言っちゃいけない

 

私のゲームソフトだけど

 

弟が勝手に人に貸しても怒ってはいけない

 

怒ったらケチと言われてしまう

 

一言貸していいか聞いて欲しいだけなのに

 

 

学校から帰ってきたら部屋の模様替えが済んでいる

 

困らないけど、自分に決定権はないんだなって

 

 

与えられたものを決められた範囲で使うことが許されてるだけ

 

 

与えられたお年玉は親のおかげでもらえるもの

 

 

なんだろう

 

そのとおりなんだけど、自分の土台が削られていくような

 

何をしても、何を与えられても

 

誰かのおかげなんだ、誰かのものなんだっていう

 

私に価値があるわけじゃない

 

私のおかげじゃない

 

私の実力じゃない

 

借り物なんだ

 

っていう感覚?

 

 

 

 

もし私が描いたもので賞をもらっても

 

それを手直しした先生のおかげ

 

私が書いた作文が冊子の扉に載ったのも

 

手直しした先生のおかげ

 

私のしたことは

 

誰かのおかげ

 

私の自力ではない

 

私に価値があるわけではない

 

 

 

それが悲しいやら気持ちを重くするのは

 

私は私であるだけで価値があると思ってるけど

 

現実はそうではないからなんだろうな、とか

 

 

 

いつだか

整体してもらった時に、体から出てきたらしい

 

「感情だけは奪われない」

「感情だけは私のもの」

 

みたいな言葉は

そこらへんにかかってるのかもな

 

 

いや、やっぱまとまらんわ

 

 

 

 

 

ここ数年、伊達巻の美味しさに目覚めたあん子さんですこんばんは

 

明日で今年も終わりですね

 

ささやかながらお節として

スーパーのちょこっとおせち(昆布巻き、小っさいエビ、黒豆、田作りの4種がちょこっと入ってる奴)と、二百円いかないかまぼこ、千円ちょっとの伊達巻を用意しています

(紅白なます?たくあんでよくね?)

 

 

まぁ、それはさておき

伊達巻美味しいよね

でもこの時期にしか売ってるの見たことないわけで

賞味期限もそんなないし

正月にしか食べられないな〜、とか思ってたんだけど

 

 

 

別に正月前から食べちゃってもいいよね?

 

 

などということに気がついた30日

 

 

いやもっと早くに気がつけば伊達巻三昧だったのでは?

 

ということで

 

一年前の自分で書いた記事が公開されるブログ機能を通じて

来年の私に早めに食べてみ?と教えることが出来ないかしらと

 

このブログをしたためました

 

 

うん

 

書いてて気がついたけど

 

30日に気がついたら二の舞だよね