このブログでは日々の生活の中で自己と向き合う瞬間を増やし、人生をわくわくする楽しいものにしていく過程を綴っていきたいと思って始めました。


その方法の一つとして『想念観察』という自己観察瞑想を実践しています。


この瞑想は自分の中に流れてくる「思い」や「感情」(私は想念と呼びます)に気が付き、理解しながらも、判断せずただひたすら見ていることを続けます。

「~という想念が流れた」という風に流します。

少し集中するとわかると思いますが、「想念」は絶え間なくそれも膨大な数浮かんでは消えを繰り返しています。

「想念」「思い」には限りがありません。

なので、どんな感情が流れてもただひたすら見続けます。


なぜこのようなことをするのかというと、私たちが生きる宇宙には基本法則があるからです。


1、『自分の中心軸は神性』

2、『自分の本質は無限』

3、『自分の思いは現実化する』


この三本です。もちろん例外はありません、宇宙に存在するすべてにこの原則が当てはまります。


上2つは簡単にいうと、私たちの可能性は無限で、できないこともないし、あるがままで完璧!ということですね。

ちょっとざっくり説明しすぎたので補足記事はまた別にあっぷします(笑)


しかし例外なくすべての人に当てはまるはずのこの法則を信じられずに、偽物の不安恐怖想念に振り回されている人が多いようです・・・。



本来、人間は人生をかけて自分の夢をかなえていくことが喜びなのです。

そういった成功体験を繰り返すことで、自信と喜びが増えて、さらに人生が楽しくなっていきます。


宇宙の基本法則の3つ目に『思いは現実化する』とありますが、本当に自分の思いが現実化するなら、自己実現なんて簡単にできるはずですよね??

そうなんです、この宇宙法則にのっとれば、どんな無謀と思える夢であっても実現させることができます!



でもなぜか思い通りにはならい人生。

それは、かなえたい思いがあってもそれを否定する「思い」が根底にあって、それが勝ってしまうからです。

「将来はクリエイティブな仕事がしたい!…でも美大も出てないし、専門的な知識もない」

「素敵な人と結婚して幸せな過程を築きたい…でも実際は隠し事があるのは当たり前よね」

というふうに瞬間的に「どうせ自分には無理・・・」と否定する想念が流れてきます。


また、はたから見ると思いを実現させてキラキラ生きているような人も実は否定的な想念に惑わされている場合もあります。

早々に就職を決めてバリバリ働いている人は、お金の安定に対する不安を抱えていたり、成果を出せなかったとき、かなり落ち込んだりします。

バリバリ働きたいという思いの裏にはそうでない自分に対して強い否定の想念があるわけですね。



どちらにしても強い自己否定、自己不信から、自分の人生を選択しています。

自己不信から一歩が踏み出せず、結局「自分なんて…」と埋没する人生。

成果をだしたり、稼いだりして無能な自分に対する不安を一時的に解消するも、またすぐにやってくる否定の想念に何度も穴埋めを余儀なくされていく人生…。

あくまで例として挙げた人生の在り方ですが、

どちらもあまり有意義ではないようです。


そこでさっき紹介した『想念観察』が役立ってきます。


どんな状況でも、流れてくる想念をただひたすら見ていくことで、自分の根底にある自己否定のパターンや鋳型に気が付くことができます。


自分がつい尻込みしてしまう場面や、不安の穴埋め行為をしてしまうときに気が付けば、そうでない選択を取ってみましょう。


はじめから簡単にはいかないので、無理矢理「怖い」と感じているものを「怖くない」とする必要はありません。

むしろ危険なのでやらないでください。


それはさっき挙げた2パターンの例の後者と同じですから。

説明したように、無理に恐怖や不安を穴埋めすると、必ず反転しその反動を食らうことになります。


故に、想念に対して否定も肯定もしません。

否定してその逆を行くのも肯定してそれにしがみつくこともしません。

「そうでない自分」の否定には変わりないからです


否定と肯定・・・つまり善悪判断ですが、想念観察とはその善悪の境界線を少しづつ薄くし、そのどちらでもない境地に自分を持っていく方法なんです。









自己否定でない自己実現の第一歩は想念をひたすらに判断せず観察していくことです。

余裕ができたらいつもとは違う自分の演出をしていきましょう。

なので、今の段階では、理屈として頭の中に入れておいてください。

このことは非常に重要なポイントですが、観察を根気よく続けなければ実感することはできません。


自分が勝手に怖いと思い込んで否定的になっていたけれど、実はそうではない、想念に実体はないということです。

続けるうちに、実は自分が掴んでいる想念はニセモノなんだと気が付き始めます。














ここに来るのはとても久しぶりです。
少しバタバタしていたのと、やっぱりわたしは1回モノを書き始めると、外に出すならそれなりと思ってしまう癖があるみたいです。笑
でも、あんまり長くて小難しいのは、私自身が楽しむより先に疲弊しちゃうっていうことは、もう経験済みなので…笑
力を抜いて、気がついたことやインスピレーションをさらさらっと載せていくことにします。
てか、それがはじめの方の目標だったのでは…(´^o^`)
まだ始まって間もないってのに、もうすでに初心に戻らねばならない時が来てしまいました( ³ω³ )

先が思いやられます笑

ではでは昨日気がついたこと!

父的な鋳型を人生のエゴに持っているわたしは
実家に帰ったり、仕事の出張でこちらに出てきた父と会うと、どうしてもどこか緊張してしまっていたことに
ようやく気がつきました。

父のことはとても好きなんですが、その反面「期待に応えなければ」「がっかりさせたくない」という想いに常に囚われてしまいがちなのです。

将来のことを自分で全て決めたりすることで、少しづつそのパターンをぬけつつあったんですけど、
目に見える大きい事柄は出来ても、日常的な会話や、些細な言い回し、さらには共有している空間そのものにまで、すごく気を使ってしまっていたことに、ある日気がついてしまったんです。
どーりで、帰省から帰るとホッとするわけですよ。笑

実際、父に対して「父的な鋳型の象徴」という意識で接するのをやめて、「人対人」という気持ちでいることを心がけたときは父はわたしをコントロールしようともせず、「好きにやりなさい」と。
なぜなら私が私自身のコントロールをやめたからです。

私達はやはりお家芸のようにコントロールし合っていました。


家族こそ「本音」を語りたいものです。
次の帰省がとても、楽しみになりました☆

このごろかなりご無沙汰でしたね汗 先々週から人生初スノボへ行ったりなんかして少し忙しくしていました。 その間にまたいろいろな気づきをため込んでいます(笑) 先週から何度か記事をアップしようとしていたのですが、投稿直前に喪失したり、何度投稿ボタンを押しても投稿されなかったりと、様々な弊害におさいなまれていました。。。
多分ゴミだらけだったのだと思います。 特に雪山から帰ってからはいろんな筋の友人が連絡をくれたものですから・・・ 電子機器、特にケータイやパソコンは持ち主の意識状態をよく反映しますから。 まるで飼い主とペットや、親と子のような関係です。。。(笑) 自分の意識と同じように、現在の生活を支えてくれている電子機器も大事に心を込めて接してあげたいものです。 つい、誤作動やフリーズなんかすると、いらっとして八つ当たり気味な意識を向けてしまいがちですがね。

前置きはこのあたりにして、空白の二週間の始まりからお話ししたいと思います(^.^)
長い付き合いの友人とのことです。

彼女とは高校時代にサッカー部以外で最も多くの思い出と時間を共有したといっていいでしょう。

同じクラスで席が前後、仲良くなるのは時間の問題でした。何より、インスピレーションや笑いのツボが驚くほど一致していました。 私たち二人の中では、周りが気にもかけないような小さな出来事ですら楽しみに変換されていく。そんな完全に二人だけで構築された関係を、お互いに心地よく思っていました。


そんな二人の穏やかな空間にトラブルを持ち込むのはいつもSでした。 私の前でSは明るくて感情豊かな一面を多く見せていましたが、一方で猜疑心が強く、妬みやすい性格も持ち合わせていました。 そんな部分を私以外の他所で発揮して、私に泣きついてくるというパターンです。

私はそんなときいつもSの相談を受けていましたが、Sのトラブル相手との板挟みになることも多々ありました。 当時の私はその役割を引き受けながらも、Sのすぐに周りが見えなくなって感情を暴走させる癖を一方で嫌悪してもいました。


そんな関係は大学生になって、私が東京、Sが京都へ生活の場を変えても変わることはありませんでした。 物理的な距離が開いた分頻度は減っていきましたが、やはりSが煮詰まると、電話がかかってくるのです。

Sは強い猜疑心に加えて、極度のめんどくさがりとルーズさも持ち合わせており、その2つの強力エゴを十分に発揮した大学生活を送っていたようでした。 そんな風にルーティンしていた日常がついに壊れる時がやってきました。 一年次終了というところで、遅刻と欠席の積み重ねで留年が確定してしまったのです。 それを聞きつけた母親(Sの母親は未婚の母でもともと二人暮らし)に地元へ強制送還されてしまったのです。大学は自主退学になりました。

さすがにSは反省したのか、将来を真剣に考え直し、思い切って東京にある服飾関係の専門学校へ入りなおすことにしました。 受験のために一年間地元でアルバイトを続け、入学金をためました。 この時ばかりは、母親とも良いコミュニケーションを築いていたようです。


そうして東京の専門学校へ入学しなおしたSは再び私の世界へやってきたのでした。


Sと東京で再会したころの私は、人生史上最も私生活が荒れてルーズになっていました。 逆にSは大学退学するまでの過去の自分を否定するあまり、人が変ったように真面目な生活を送っていました。 ただ、生活で枠を強化したあまり、昔より卑屈になって愚痴が多くなったように感じました。

こうしてみると、私たち二人は強力な鏡関係として高校時代からエゴのバランスを投影し合っていたのだと感じます。 枠が緩くなり、ルーズになった私はスピリチュアルの勉強に対しても不真面目で、時間はもちろん金銭的にもかなり苦しい思いをしていました。そんな私にSは違和感の目を向けていました。


ある日、私はそんなルーズな自分から脱出する決意をしました。片足半分だった内的な勉強を真面目にすると決め、情で背負い込んでいたものを片っ端から切り離していきました。 自然と交友関係も整理され、時間と金銭的な枠も強化されていきました。

ちょうど、Sの枠がだんだん元に戻っていく傾向を見せ始めていたのもこのころです。 やはりバランスしているようで、落ち着き始めた私はあらゆることにどんどんルーズになっていくSを見て心に波風立つことが増えました。(笑)

当時の私はその勢いで、情でつながっていた友人たちを片っ端から断罪していき、中には私の扉の狭さに根をあげて縁がなくなってしまった人もいました。 Sはその中ではどんなにわたしにきつく指摘されても何度でも連絡を取ってくるまれな友人だった。 それでもトラブルが起こしては周りが見えずに感情のまま泣きついてきて、一向に学ばないSについに私の我慢が限界点を越してしまった。

同じことを何度も繰り返して好きでそこにいるのなら、もう私にその話をするなという内容でした。考えるよりも先に言葉にしていたようで、気が付いた時には言葉にしたことを少し後悔している自分がいました。 でも、私も寂しかったのでした。高校時代二人で過ごした時間はもっと明るくて創造的であったことを思い返すと、それはなおのことでした。

その後Sからの連絡が途絶えました。 時がたつにつれて私の中で後悔と悲しみが大きくなっていきました。 どうしているのかと、この間は強く言い過ぎたと、連絡してしまおうかと何度も思いました。でも、それは何かが違うと私の中で叫んでいました。 たぶん第六感に似たものであると思いますが、自分の中でそういった感情?があるときはそれに従うように心がけていた私は、連絡したいエゴをじっとこらえて待ち続けました。 今を堪えると、次は必ず新たな学びの答えをもって再会の時が来ると信じました。


しばらくして、私の中でSのことを考える時間は減っていきました。 そんな中、非常にニュートラルに近い意識でSを思い出したとき、ふっと気が付いたことがありました。 それもお風呂に入っているときに(笑) 私はSをはじめとする、多くの情でつながったとこのある人たちの前で、「おねーさんぶっていた」のではないかと。自分がしっかりしなければいけないと律して接していたことに気が付きました。 そりゃ、想念観察的な視点で見たら、彼女たちがどんどん過去の自分になっていくわけです。 もし次に会うことがあったら、もっと自由に素の自分を見せることを心掛けようと思いました。

そう思いながらお風呂から出ると、なんと、Sから久しぶりの連絡が来ていました。 シンクロニシティですね(笑) うれしい思いで、日を決めました。 当日も久しぶりにの再会にウキウキしながら待ち合わせ場所に向かいました。

その日はすごく楽しかったことを覚えています。 話していて、私の代わりに体現してくれていた「今どきの若者」の在り方や江戸を無理矢理否定していたことにも気が付きました。 共感できたことも、一緒になってうるうるしていたのでは、彼女が成長しないなどと勝手に情をかけていましたが、それもやめて正直に話すことにしました。 そうすると、Sの反応も正直になってきました。でも私がエゴに同意しない意識でおたこともあって、想念垂れ流しでもなく、明るく創造的な雰囲気があったように思います。

具体的な相談に対しての助言は、過去のエゴに振り回されててどうしようもなかった自分を隠さず否定せず、その時の自分の意識やどうやってそこから出てきたのかなどを話してあげました。

後はその時気が付いたことを等身大で伝えること。 Sと接していくうちに、これが否定しない「過去の自分」との付き合い方なんだと感じました。


Sとの時間はまた楽しいものへと変わりました。 しかし、それは高校時代へ戻ったというような単純なものではないように感じました。 うまく言えませんが、今まであった基盤にさらに新たな何かが増えたような・・・ 確かに変わらないものもあるが、でも生まれ変わった部分がある。 そんな感覚です。

今回のSとの学びは他の関係でも大いに影響を与えていると思います。 「しっかりする必要」が必ずしもそうではないことを気が付くことは大きいと思います。 これは現在の自分を等身大でとらえ、見つめることで本当の成長へつなげていくきっかけになります。 それも含めて気が付いたことは大きいものでした。 というか、これこそ第一ステップなのかも(笑)

でも、避けては通れない大事なこのステップを曲がりなりにも文字に起して文章にできるようになったことは、まぎれもない成長だと信じてもいます。