さてさて。
公演中にもチラっと書いていましたが。
この「私のダーリン」
正直、初日観た時には、
「あーキラキラしていてみんな綺麗だったな~」とか、
「良大くんの歌とダンスとタップが楽しかった」とかとか…
「うん、とにかく深く考えずに観られる話だったな」とかとかとか。
そんな感想だったように思います。
そこから10日ほど空けて観た2回目。
1回目には気づかなかった部分とか、気づけなかった部分。
みえていなかった部分とかがだんだんみえてきて。
そこから「ん?」って思う箇所がどんどん増えていって。
夢子と虎衛門の記念日当日の話。
初日は、夢子が頭おかしくなっちゃって
虎ちゃんが死んじゃってることにも気づいてないんじゃないか、って。
だから小説の世界に迷い込んだのもある種の「逃げ」なんじゃないかって。
そんな風に感じていたのですが。
でも2回目見た時には、虎ちゃんが起き上がった後の夢子の表情が、
ビックリしていることに気づいて。
タップの前にほっぺたを触るときにも少し怯えながらと言うか…
「触れられなかったらどうしよう」っていうためらいがちょっと見えたり。
「ごめん」って言いたかったのに言い出せなかったり。
なんかそういうためらいだったり、悲しい感情だったりが
少しずつ見え隠れするようになって。
きっと赤いドレスを着た夢子が持ってきたたんぽぽは、
虎ちゃんが最期に採ってきたものなんだろな。
そう思い始めると、その後の流れがスゴく切ないものに変わっていって。
そんな感じで観方をガラっと変えたのは、3回目くらいからかな。
ラストの「あたしの命、半分あげるから」って夢子の言葉も
前半と後半とで変わっていった気がしたかなぁ…。
前半は絞り出すような声で少し寂しそうに。
後半は感情をすべてぶつけるように叫んでいて。
この前半後半での変化は、私にとってはグっと来る場面の一つでした。
まぁ「女優魂みせてるね~」って言えばそれまでなんだろうけどね。。。
で。本題。
途中からこのお話に対しての感情の入り方が変わったってのは、
自分の生活に置き換えてみてしまった、ってところかな。
姉と一緒に住み始めたころから、
自然と決まりごとのようになっていることがあって。
それは、
「どちらかが朝出かける時には、かならず玄関まで見送ること」
当たり前っちゃ当たり前なんだけど。。
うちの姉は、長く家を空けることもある職業に就いていて。
以前、姉の職場の先輩が言っていたそうなのですが、
たとえご主人と前の晩にケンカをしていたとしても、
朝出かける時には笑顔で「いってらっしゃい」「いってきます」
のやりとりをするようにしているって。
もしケンカをしたまま、口も聞かずに出かけたのが、
最期の別れになってしまったら…
残された方は悔やんでも悔やみきれないから、って話していたそうな。
なんかその話が頭に残っていて、どんなに朝早かろうが、
なるだけ出がけのお見送りは欠かさないように。
そう心がけています。
まぁね。
そこまで危険と隣り合わせなワケではないけれども。。。
それに、最近は朝早すぎてベッドの中から、
「いってらっしゃい(´-ω-`)ノシ」なことも多々ありますが…(苦笑)
たぶんこれは自分が大切な人と出逢って、生活を共にするようになっても
変わらないことかもしれないなーって。
なんとなくだけど思っています。
そんな生活を振り返ったら。
虎ちゃんの「散歩してくる」が妙に悲しい言葉に聴こえてきて。
だってそれが二人が交わした最期の言葉なんだもの。
顔も見ずに、少し投げやりに。
まさかそれが最期になるとは思わずに。
毎日、永遠の別れを怖がって生活するわけではないけれど、
「明日」が必ず来るとは限らないんだよなーって。
そう思うと、
目の前の一日一日を大切にすること。
当たり前の毎日に感謝すること。
そして大切な人を大事に想い、それを伝えること。
そういう日々を送っていくことが、本当の幸せなのかもな。
なーんて思ったり。
黒木さんのインタビューに書かれていた言葉が、
妙にしっくり来るようにもなりました。
正直、初日に観た時は、
「運命」って言葉はもうお腹いっぱい(;´д`)
って思っていたけれど。
まぁ確かにお話の中で多用される「運命」って言葉には、
「うーーーん」って思うこともあったけれど。
この私のダーリンに触れたことで、
少し前向きな「運命」もあるのかな?って。
「運命」って感じた瞬間に何か起きるわけではなくって。
同じ時間を共有しながら、笑顔も泣き顔もひっくるめて受け入れ合って初めて、
「あ、あれは運命だったんだね」って思うものなんだろうな。
それこそ
「喜びと悲しみにふたつを抱えて」こそ、成り立つものなのかもなーって。
だから悲しがってばっかいちゃいけない。
自惚れてばかりでもいけない。
とにかく目の前の日々を大切に。。
そうすればきっと些細なきっかけにも気づけるはず。
これだっ!と思ったら迷わず掴むこと。
掴んだその手を離さないこと。
運命は自ら手繰り寄せろ。
って、なんか私のダーリンの感想からだいぶずれたなぁ…(苦笑)
ま。
ちょっと私自身にとってもいろいろな意味で想い出に残る作品になりました。
そんなとこかな。まとめると。
きっかけってどこにあるかわかんないもんだよね、うん。
公演中にもチラっと書いていましたが。
この「私のダーリン」
正直、初日観た時には、
「あーキラキラしていてみんな綺麗だったな~」とか、
「良大くんの歌とダンスとタップが楽しかった」とかとか…
「うん、とにかく深く考えずに観られる話だったな」とかとかとか。
そんな感想だったように思います。
そこから10日ほど空けて観た2回目。
1回目には気づかなかった部分とか、気づけなかった部分。
みえていなかった部分とかがだんだんみえてきて。
そこから「ん?」って思う箇所がどんどん増えていって。
夢子と虎衛門の記念日当日の話。
初日は、夢子が頭おかしくなっちゃって
虎ちゃんが死んじゃってることにも気づいてないんじゃないか、って。
だから小説の世界に迷い込んだのもある種の「逃げ」なんじゃないかって。
そんな風に感じていたのですが。
でも2回目見た時には、虎ちゃんが起き上がった後の夢子の表情が、
ビックリしていることに気づいて。
タップの前にほっぺたを触るときにも少し怯えながらと言うか…
「触れられなかったらどうしよう」っていうためらいがちょっと見えたり。
「ごめん」って言いたかったのに言い出せなかったり。
なんかそういうためらいだったり、悲しい感情だったりが
少しずつ見え隠れするようになって。
きっと赤いドレスを着た夢子が持ってきたたんぽぽは、
虎ちゃんが最期に採ってきたものなんだろな。
そう思い始めると、その後の流れがスゴく切ないものに変わっていって。
そんな感じで観方をガラっと変えたのは、3回目くらいからかな。
ラストの「あたしの命、半分あげるから」って夢子の言葉も
前半と後半とで変わっていった気がしたかなぁ…。
前半は絞り出すような声で少し寂しそうに。
後半は感情をすべてぶつけるように叫んでいて。
この前半後半での変化は、私にとってはグっと来る場面の一つでした。
まぁ「女優魂みせてるね~」って言えばそれまでなんだろうけどね。。。
で。本題。
途中からこのお話に対しての感情の入り方が変わったってのは、
自分の生活に置き換えてみてしまった、ってところかな。
姉と一緒に住み始めたころから、
自然と決まりごとのようになっていることがあって。
それは、
「どちらかが朝出かける時には、かならず玄関まで見送ること」
当たり前っちゃ当たり前なんだけど。。
うちの姉は、長く家を空けることもある職業に就いていて。
以前、姉の職場の先輩が言っていたそうなのですが、
たとえご主人と前の晩にケンカをしていたとしても、
朝出かける時には笑顔で「いってらっしゃい」「いってきます」
のやりとりをするようにしているって。
もしケンカをしたまま、口も聞かずに出かけたのが、
最期の別れになってしまったら…
残された方は悔やんでも悔やみきれないから、って話していたそうな。
なんかその話が頭に残っていて、どんなに朝早かろうが、
なるだけ出がけのお見送りは欠かさないように。
そう心がけています。
まぁね。
そこまで危険と隣り合わせなワケではないけれども。。。
それに、最近は朝早すぎてベッドの中から、
「いってらっしゃい(´-ω-`)ノシ」なことも多々ありますが…(苦笑)
たぶんこれは自分が大切な人と出逢って、生活を共にするようになっても
変わらないことかもしれないなーって。
なんとなくだけど思っています。
そんな生活を振り返ったら。
虎ちゃんの「散歩してくる」が妙に悲しい言葉に聴こえてきて。
だってそれが二人が交わした最期の言葉なんだもの。
顔も見ずに、少し投げやりに。
まさかそれが最期になるとは思わずに。
毎日、永遠の別れを怖がって生活するわけではないけれど、
「明日」が必ず来るとは限らないんだよなーって。
そう思うと、
目の前の一日一日を大切にすること。
当たり前の毎日に感謝すること。
そして大切な人を大事に想い、それを伝えること。
そういう日々を送っていくことが、本当の幸せなのかもな。
なーんて思ったり。
黒木さんのインタビューに書かれていた言葉が、
妙にしっくり来るようにもなりました。
正直、初日に観た時は、
「運命」って言葉はもうお腹いっぱい(;´д`)
って思っていたけれど。
まぁ確かにお話の中で多用される「運命」って言葉には、
「うーーーん」って思うこともあったけれど。
この私のダーリンに触れたことで、
少し前向きな「運命」もあるのかな?って。
「運命」って感じた瞬間に何か起きるわけではなくって。
同じ時間を共有しながら、笑顔も泣き顔もひっくるめて受け入れ合って初めて、
「あ、あれは運命だったんだね」って思うものなんだろうな。
それこそ
「喜びと悲しみにふたつを抱えて」こそ、成り立つものなのかもなーって。
だから悲しがってばっかいちゃいけない。
自惚れてばかりでもいけない。
とにかく目の前の日々を大切に。。
そうすればきっと些細なきっかけにも気づけるはず。
これだっ!と思ったら迷わず掴むこと。
掴んだその手を離さないこと。
運命は自ら手繰り寄せろ。
って、なんか私のダーリンの感想からだいぶずれたなぁ…(苦笑)
ま。
ちょっと私自身にとってもいろいろな意味で想い出に残る作品になりました。
そんなとこかな。まとめると。
きっかけってどこにあるかわかんないもんだよね、うん。