こんばんわーDASH!

今日は期日前投票に行ってきました!

「政治に興味ない」「どうせ変わらない」「誰がなっても同じ」

私もそう思っていた一人ですが、選挙には欠かさず行っています。

20歳になって選挙権を得たときに、

「政治に文句言うならちゃんと選挙に行きなさい。行かないなら文句言う権利はないよ」と親に言われました。

若い世代の皆さん、これからの日本このままでいいですか?

行かないことも選択の一つですが、少しでも現状に不満があるなら選挙いきましょう?

行動を起こさなければ何も変わりませんよーゲロー

 

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「生きたい」 と 「生きてほしい」

 

介護に携わって10年ちょい。

「生きたい」 より

「生きてほしい」 という言葉を多く耳にしてきました。

 

 

様々な理由で自ら命を絶つ人がいます。

「死にたい」、「消えたい」、そう思うこと私もあります。

その人たちは「弱い」からその選択をしたんでしょうか?

「逃げる」ために、「甘えてる」その選択をしたんでしょうか?

そんな言葉で片付けられるほどの理由で選んだ選択なのでしょうか?

「死ぬ」という決断は「生きる」以上に勇気のいる決断だと思います。

その人なりに受け止めて、悩んで、苦しんで、その結果の答えなのではないでしょうか。

それを他人が何の事情も知らずに「弱い」だの、「逃げてる」だの、言うのはおかしくないですか。

家族だって他人です。心の中まで覗けるわけじゃない。

何でも話せるわけじゃない。

余計な心配をかけまいとして話さないこともあると思うんです。

いじめがそうだと思うんです。学校でも会社でも。

守らなければならない立場の人間が危害を加える立場になってしまっているような気がします。

 

「生きたい」と思っても、「生きていけない」「生きていくことができない」のが今の日本なのかなーと、選挙を通して考えるようになりました。

 

話が大幅に逸れましたアセアセアセアセ

本題に戻ります。

終末期の高齢者のご家族が迫られるのが延命措置。

経管栄養と言って胃に直接栄養を流し込むものや、酸素マスク、導尿のためのバルーンなどが挙げられるかと思います。

延命措置希望されるご家族の多くが「もう少しだけでも生きてて欲しい」と思われてのご決断だと思います。それに対して否定はしません。

 

私が疑問に思うことは

果たしてそこに本人の意思があるのだろうかということ。

お元気な時にご本人からそういった希望があるのであれば話は別です。

意思の疎通(非言語的なコミュニケーション含む)が出来ない状態で管に繋がれて生きることが「ご本人らしく」生きることなのかな、と。

「生きてほしい」というのは

周りの、残される者の、エゴでしかないのかなと私は思うのです。

高齢者と関わる事が特に多いのでそういった見方になってしまうのかもしれませんが。

 

 

 

 

 

「生きたいと思っていても(病気などで)生きられない人もいるのに」

よく聞きますよね、この言葉。

じゃぁ、「生きたいと思って生きられる、生きてていいと思える社会」があるんですかね?

パーキンソン病は薬がなければ、日常生活に大なり小なり支障をきたす疾患です。

軽度のパーキンソン病患者は医療費の助成も該当しません。

1錠約400円の薬を30日処方された場合、単純計算でも12,000円になります。

ただし、この薬これだけでは効果がでにくいので+αが発生するわけです。

これが毎月かかってくるわけです。

先ほど述べたように薬がなければ日常生活に支障をきたすにもかかわらず、

薬が効いているうちは障害者手帳に該当しないんです。

40歳以上のPD当事者は介護保険が使えます。(認定調査は必要です)

ではそれ以下の年齢且つPDで働けない人の保証は??

 

(私が知る限り)

何もないです。

障害年金も医師に診断書を書いてもらえないと受給申請すらできません。

診断当時、杖歩行、無職、ヤール3の私でも難しいようで医師に診断書は書いてもらえませんでした。

働き盛りの年代での発症、一番サポートすべき年代に公的保証は何もないのです。

これでは「生きたくても生きていけない」と思うのは私だけなのでしょうか?

この選挙を機に少しでも「生きたい」「生きてていい」と思える社会になったらいいなと思います。

 

ではおやすみなさい!