我が家には子供がいない。
妊活中、高度治療も受けた。
治療が実を結び、妊娠もした。何回も。
その都度流産。流産した数は片手では足りない。
「おめでとうございます。妊娠◯週目です」
妊娠を伝えられる度、ホッとし、じんわりと幸せを噛み締め、宿った命に話し掛ける日々。夫の嬉しそうな顔は忘れられない。
喜びに満ちた日々は続かず、激痛と共に出てくるのは、まるで内臓のような見た目の、育つ過程の我が子。
虚無感と共に、涙が止まらなかった。
結婚したら子供はできるもの。
妊娠したら子供は生まれるもの。
それが当たり前だと思っていた。
どうして他の人にできていることが自分にはできないのか。
もういなくなってしまいたい。
このまま目が覚めなければいいのに。
眠りにつく前に何度願ったことだろう。
仕事のストレス。
治療のストレス。
夫婦間でのすれ違い。
なにもかもが辛かった。
生きているのが嫌だった。
そんなときフと思ったのは
細胞分裂できたらいいのに。
わたしだけがなぜこんなにも辛い思いをしなければならないのか。
自分ひとりで子供ができるのならどんなに楽だろう。
追い打ちをかけるようにわたしを傷つけたのは
「わかるよ、同じ体験したことあるから」
ドヤ顔であなたの味方よ感を撒き散らすのは子育て中の人。
寄り添っているようで自分の話をしたいだけ。
言葉はナイフとなり、ズタズタに引き裂かれる。
お前に何がわかる。
気安く言うな!
偽善者が!!
心の叫びは届かず、精神は蝕まれていく。
不妊治療は即断即決を求められる。
迷っている時間はない。
金銭的も
肉体的にも
なにより
精神的苦痛は避けられない。
日に日に時間は過ぎていき、自身も卵子も老いていく。
共働きで得たお金も、法外な治療費で消えていく。
一体何のために生きているのか。
気がつくと涙が出ていた。
今思えば鬱だったのではないかと思う。
妊活から遠のき、数年が経つ。
鬱々と過ごしたあの数年はなんだったのだろう。
命を繋ぐことだけが人生ではない。
そう思えるようになるには、時間が必要なのだと思う。