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NICK LEESON -1992~1993-

ニック・リーソン(NICK LEESON)  1992年~1993年


3月頃~

 SIMEX での取引のため、ベアリングズはBFS(ベアリングズ・フューチャーズ・シンガポール)の先物・オプション取引部門を置き、ニックはその責任者(ブローカー?責任者)となる。

当初、業務を開始したばかりで最初の1年は自己売買 の権利がなかった。その時の彼の業務は、ベアリングズ(東京)から指示をうけ、シンガポールの顧客が出す注文を満足するように裁くことだった。

この時ベアリングズは、大阪とシンガポールの間にできる日経平均先物の価格差(ほんの数秒)を利用して裁定取引 を行っていた(現在はほとんど価格差がない)。大阪で売った物をシンガポールで買うというように。

彼の仕事はすばらしかった。


ニックは、自己売買が早くできるようになりたかった。


夏頃~

 日本の証券取引法改正により、先物・オプション取引の多くが大阪からシンガポールへ移り出す。

SIMEXでの取引量は4000枚から20000枚へ5倍も増え、当然、BFSの顧客も注文も増えた。

この辺りから、彼のトレーダーとしての歯車は狂い出すようだ。

それは、彼が雇いたかった人間をBFSが人件費を理由に全て拒否したこと、もう一つはベアリングズからの要求で2つめのエラーアカウント「88888」を作ったことだった。作った後すぐに、ベアリングズはやはり元のアカウントだけで良いと指示を変える。


7月17日

 採用したばかりのスタッフが、20枚の売り・買いを間違い反対売買 で相殺すると、2万ポンドの損失が発覚。

ニックは、2万ポンドの損失を眠っていたエラーアカウント 88888に入力することで彼女の失敗をかばおうとした。が、彼女はそのまま退職してしまい、損失の責任は全て責任者であるニックに向けられることになる。

買い40枚で相殺できるところを、88888で処理したため売り持ち40枚となった。

これが、狂いだした歯車を動かすきっかけとなるとは思ってもいなかっただろう。

3日後には、2万ポンドが6万ポンドへと増えていた。


年末頃~

 エラーアカウント 88888には、すでに30個以上のエラーが記録されていた。

SIMEX所長から協力の要請が来る。SIMEXからの大口クライアント紹介だった。クライアントの名はフィリップ・ボヌフィスといった。2週間後、取引の開始をベアリングズが認めた。

フィリップが注文する量は半端ではなく、SIMEXの一日の平均取引高の10%以上を占める時もあったようだ。この頃、注文量増加でBFSはかなりの手数料を稼ぎ出していたが、同時に3つめの歯車が狂い出す。

それは、トレーダーのジョージ・ソーが、離婚によるショックから仕事に集中力を欠いてきていた事だった。


1993年 1月頃~

 ジョージはミスを重ね始めていた。ある時、注文のと売買の不一致が420枚も発生してしまう。ニックはこのミスを88888へ入れる。


 88888アカウントの損失が膨らむにつれ、その数字にニックは翻弄されていく。



説明)

※エラーアカウント

 注文ミスにより発生した取引を一括して記録するコンピュータのアカウント。その結果発生した損失、又は利益は会社の利益に影響を与える。ベアリングズは88888アカウントは休眠中であり、使用されていないと考えていたようである。


※当時のSIMEX

 はオープン・アウト・クライ方式が採用され、その意味で透明性が高い市場であった。実際に人間として、売り手と買い手(場立ち )が存在していた。

先物取引では、日々ポジションと相場を比較して不利であればそれに相当する追加証拠金 の支払いを指示するやり方をとっていた。BFSは相場変動リスクに対応するため顧客から供託金を預かっていた。

 

※オープン・アウト・クライ方式
 取引所内のフロアーに、各取扱商品毎にピットと呼ばれる場所に場立ち(会員業者の取り次ぎ係)が大勢集まり、大声で怒鳴りあいながら取引を行ないます。取引創設時の伝統を今も引き継いでおり、大変な喧騒、迫力と活気があり、良い意味でも悪い意味でも人間味に満ち溢れています。
ダン・エイクロイド、エディー・マーフィー出演の映画「大逆転」で、シカゴの商品先物取引でのこの方式の取引シーンがありました。


続く。


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