3/12 コラム
【FRBウオッチ】グリーンスパン氏の「プット」、景気後退にヘッジ
3月12日(ブルームバーグ):情報技術(IT)株式バブルが形成されていた当時、「グリーンスパン議長のプットオプション」という言葉が市場関係者の間でささやかれていた。マーケットが暴落しても、当時のグリーンスパン米連邦準備制度理事会(FRB)議長が救ってくれるという期待感を、プットオプション(売り行使権)による保険に例えたものである。
87年10月のブラックマンデー後の流動性供給、98年秋のロシア金融危機や同危機に端を発するヘッジファンド、LTCMの実質破綻後の緊急利下げなどで発揮した前議長の手腕を市場関係者が高く評価したものだ。グリーンスパン氏の巧みな話術もあり、同議長はカリスマ性を帯びていく。そのグリーンスパン氏が退任後1年以上経過して、再び市場の脚光を浴びている。
もっとも、今回は市場の波乱抑制ではなく、むしろ波乱要因のひとつとも指摘されている。グリーンスパン氏は2月26日に、衛星放送を通じて、香港の聴衆に語りかけていた。そして、企業利益の伸び鈍化は、景気拡大が終焉を迎えつつあることを示唆していると話したという。奇しくもその翌日に上海証券取引所で株価急落が発生。世界的な連鎖株安へとつながっていく。
異例の景気後退予測
グリーンスパン氏は3月5日にブルームバーグ・ニュースとの会見で、今年の米リセッション(景気後退)入りの確率は「3分の1」と具体的な数値を挙げて答えた。しかし、前回のリセッションに陥る前には、グリーンスパン議長はその可能性について、まったく触れていなかった。
前回のリセッションは2001年3月から同年11月まで続いた。当時、グリーンスパン議長が指揮した連邦公開市場委員会(FOMC)は、迫りくる景気後退を前に、声明に盛り込むリスク判断を2000年11月まで、「インフレ」とし、利上げ方向を示していた。FOMC声明が「景気リスク」に転換したのは2000 年12月になってからだった。グリーンスパン議長(当時)は、リセッションの可能性を示唆する暇もなかったようだ。
年が明けた2001年1月3日に、同議長は緊急FOMCを招集し、0.5ポイントの大幅利下げを断行。同月25日の議会公聴会で、グリーンスパン議長は「米景気は劇的に減速しており、現時点ではおそらくゼロ成長に極めて接近しているだろう」と景気後退が切迫していることを初めて認めた。景気後退の予測は示さず、ほとんど実況中継の趣があった。
今回は議長職を離れ、民間エコノミストの立場から、景気後退の確率にまで言及したのだろう。グリーンスパン氏が金融政策の決定権を持っていない以上、1民間エコノミストの予想と同列のものだ。
グリーンスパン議長へ決別の辞
トリシェ欧州中央銀行(ECB)総裁は今月8日の記者会見で、グリーンスパン前議長による「リセッション確率3分の1」の発言について質問され、「私はFOMCを信頼している」と答えた上で、「グリーンスパン前議長をFOMCメンバーだとはもはや見做していない」と話した。グリーンスパン氏の背後にはもはや200人以上の博士号取得者を擁するFRB調査統計局は控えていない。
グリーンスパン氏は議長時代も、景気見通しで完璧だったわけではない。フェデラルファンド(FF)金利を1%にまで引き下げた2003年6月にかけてグリーンスパン議長はデフレ恐怖症に取りつかれた。このとき、グリーンスパン議長は「デフレのリスクは小さい」としながらも、「仮にそうなった場合の結末は非常に深刻だ」として、超低金利への引き下げを断行している。
このとき、グリーンスパン議長は、今回のように「確率」を数値化することを避けていた。ブラインダー・プリンストン大学教授(元FRB副議長)はこのグリーンスパン議長の発言について、デフレの確率は「数パーセント」と解説していた。たかだか数%のデフレリスクのためにFF金利を1%まで急降下させ、その後の住宅バブルの形成と破裂を招いてしまった。
デフレへの過剰防衛で超金融緩和
FF金利が1%に押し下げられたのは2003年6月25日のことだった。ところが、グリーンスパン議長がデフレ懸念から超金融緩和の実現を目指した時期は、米国経済が強力な反発へと助走していた時とちょうど重なっていた。同国の国内総生産(GDP)は同年4-6月期にインフレを除いた実質ベースで前期比年率3.5%増と巡航速度以上の成長を達成。利下げ直後の7-9月期に7.5%と驚異的な高成長を遂げたのである。
しかも、この高成長を見届けた後も、グリーンスパン議長率いるFOMCは「相当の期間」「辛抱強く」1%の超低金利を継続。2004年6月にようやく利上げに転じたものの、同議長は「低インフレの下では、慎重なペースで緩和を解除するという贅沢が許される」と表明。緩和解除が大幅に遅れてしまった。
こうして、国際的な過剰流動性の最大の原因を醸成していった。グリーンスパン前議長はじめバーナンキ現FRB議長、ブッシュ政権の高官らはこぞって、米国の消費者のおう盛な購買力が世界的な貯蓄の余剰を吸収、国際経済の発展に貢献していると豪語する。
過剰消費を強さと誤解
フィッシャー元米財務次官は今月9日に、景気悪化を警戒する投資家に対して、「米国の消費者を甘く見ると、米国経済の底堅さを甘くみることになる」と警告を発したほどだ。ただ、グリーンスパン時代の金融緩和期に住宅資産の膨張に伴う借り入れで家計は債務を急拡大、身の丈を大幅に上回る消費を続けてきた。この結果、経常収支赤字は拡大トレンドを形成している。
米国の消費者という強力な機関車が中国はじめ新興国の生産拡大を牽引し、グローバル化が急進展したことは間違いない。ただし、強力な過剰流動性を背景とするグローバル化の進展はさまざまなひずみも同時に生み出している。新興国経済が続々と離陸したものの、資源の奪い合いが生じ、インフレ環境が生じつつある。
バーナンキFRB議長は今月3日の講演で、「グローバル化に伴う製造業製品の輸入価格と石油や国際商品価格の相殺効果を勘案すると、グローバル化はインフレを大幅に低下させると結論付ける根拠にはほとんどならないと思われる」とし、「逆も真かもしれない」と語った。
グリーンスパン前議長は、ブルームバーグ・ニュースとの会見で、2000年代の景気拡大期間が1990年代より短期化しかねないと予想した。その理由として、前回の10年に及ぶ景気拡大について、「より広範な世界的現象のなかでの出来事だった」と述懐。さらに、「歴史的に見て、通常の景気拡大期はもっとずっと短い」と指摘。今回も通常の期間にとどまる可能性が高いと付け加えた。
米国にとって「良き時代」は終了
グリーンスパン氏は、私は幸運な時代にFRB議長を務めたと述懐したことがある。その心はグローバル化によりディスインフレが進行したため、引き締め政策を採らなくて済んだということである。同氏は今回の会見で、前回の10 年に及ぶ景気拡大期について、「広範な世界的現象の中での出来事」と指摘した。その最も重要な要素は、米国にとってディスインフレ圧力であった。
前回の景気拡大の背景にあった90年代のグローバル化の進行は世界的にディスインフレ環境を醸成した。しかし、グローバル化が成熟過程を迎える中で、バーナンキ議長が語ったように、「インフレ要因」に転じる兆しを見せ始めている。米国にとって「良き時代」は過ぎ去りつつあるということだ。バーナンキ議長は将来、「私は不運な時代にFRB議長に就任した」と振り返ることになるかもしれない。
今回の世界的な連鎖株安は、米国経済にとって良き時代が過ぎつつあることを告げる警鐘かもしれない。ヘッジの名手でもあるグリーンスパン氏はここで「景気後退の確率は3分の1」と明示することにより、議長時代に培った名声を維持するための保険をかけたようにもみえる。今回の米住宅バブルの破裂の後、景気後退に陥れば、グリーンスパン議長時代の金融政策の失敗を意味するからだ。
その確率は「3分の1」だが、2003年当時のデフレリスク数パーセントよりはるかに大きい。グリーンスパン氏にとって、もはや金融政策による直接的な保険はかけられない。が、同氏にはなお名声がある。景気後退の確率を数値化して公表すれば、市場参加者は当然反応する。そして、市場金利は低下して、景気後退への保険となる。
少なくとも、景気後退を事前に予告していたという実績は残る。グリーンスパン氏の“プットオプション”には実は同氏の名声を維持する狙いが込められているのかもしれない。
景気後退の可能性に言及し、軟着陸に成功
グリーンスパン氏はFRB議長在任中にリセッションの可能性に言及したことがある。それは、1995年6月7日のことだった。シアトルで開かれた国際金融会議の後、議長はこの時も珍しく記者会見に応じていた。
景気見通しに関する記者団の質問にこたえ、グリーンスパン議長は「私を当惑させるような問題は何も見えない」と切り出した。そして、「低調な経済見通しを背景に、私の同僚の間でも、リセッションの確率が上昇したという意見が聞かれる。人々はそのように予測しているようだ」と、婉曲的にリセッションの可能性に触れた。もちろん、リセッション確率の数値化などしなかった。現職議長としての、矜持(きょうじ)を保っていた。そして、この記者会見から1カ月後の95年7月6日のFOMCで利下げに転じ、景気のソフトランディングに成功している。
グリーンスパン議長は当時、景気のソフトランディングが視野に入っていたからこそ、余裕を持って、リセッションの可能性に触れることができたのだろう。このソフトランディングをより確かなものにするため、リセッションの可能性に言及し、利下げへと舵を切ったわけだ。
95年6月にリセッションの可能性に触れたときは、利下げにより景気のソフトランディングを確実なものにすることができた。グリーンスパン氏にとって、今回も95年当時と同様に、メーンシナリオは景気のソフトランディングである。ただし、もはや利下げによりそれを確実にすることはできない。しかも、今回は住宅バブル破裂の後遺症を抱え込んでおり、状況は95年当時よりずっと厳しい。このため、グリーンスパン氏は「リセッションの確率は3分の1」と、具体的な数値を上げて、“口先介入”の効果を挙げようとしたとみるのは穿ち過ぎだろうか?