11/21 ブルームバーグ コラム
【FRBウオッチ】タカ派の深層-動き出した“インフレターゲット”
11月20日(ブルームバーグ):フィッシャー・ダラス連銀総裁は17日、「2%を超えるインフレが続くことは許容できない」と述べ、インフレ抑制への強い決意を表明した。この発言が速報されたのは、アメリカ東部時間の午前8時 30分(日本時間午後10時30分)。マーケット参加者にとっては、米政府が重要統計を発表し、相場が激しく動く、黄金の時間帯だ。
この日は折りしも商務省が住宅着工件数を発表。マーケット参加者が注視するコンピュータースクリーンには、「10月の住宅着工件数、前月比15%減の 148万6000戸」のヘッドラインと同時に、フィッシャー総裁のインフレ警戒発言が同時に報道された。奇しくも、米国経済の減速を象徴する住宅着工の大幅減少と、連邦公開市場委員会(FOMC)メンバーによるインフレ警戒発言がコンピューター画面に並んだ。
このところ、景気の減速を裏付ける経済統計が相次いで発表されるなかで、通貨当局者が声高にインフレ警戒を唱えるという、一見すると、ちぐはぐな展開が続いている。この謎を解く鍵は「インフレターゲット」だ。FOMCは明示的なインフレターゲットこそ採用していないが、すでに舞台裏では「物価安定目標のレンジ」が機能しているという。
「物価目標レンジ」を選定
昨年11月3日の上下両院合同経済委員会。グリーンスパンFRB(連邦準備制度理事会)議長(当時)は任期中最後の議会公聴会に臨んでいた。そこで、インフレターゲットに関する議員の質問に答えて、「物価安定を一般的にレンジとして事実上認識することを選択した」(We have chosen effectively to perceive a price stability largely as the range)と指摘した。
米中央銀行のトップの座に18年余にわたり君臨し、数々の修羅場を切り抜けてきた同議長は、退任間際の議会公聴会を余裕でこなしていた。最後の試練と見られていたITバブルの破裂を乗り切ったあとは、議員の質問に答える過程で、金融政策の真髄を吐露することも少なくなかった。
グリーンスパン議長は、持ち前の「建設的なあいまいさ」を駆使しながら、物価安定をレンジとして捉えていることを明らかにした。グリーンスパン議長によると、PCEコア価格指数と呼ばれる、エネルギーと食品を除く個人消費支出に関する価格指数を「物価安定レンジ」の基準に使用した。前議長は物価安定目標のレンジについては具体的には示さながったが、バーナンキ議長は理事を務めていた当時、1-2%上昇が「心地よい水準」と指摘している。
レンジ突破の容認期間めぐり見解に差
フィッシャー総裁は今月17日の講演で、「2%以上のインフレが継続することは許容できない」と表明。「2%」が物価安定レンジの上限になっていることを示唆した。もう一つのキーワードはレンジを突破した場合の「継続期間」だ。レンジの上限は2%と認識されているようだが、期間については、メンバーの見解になお差が見られる。
インフレが目標の上限に達したからといって、即座に利上げすることはないわけだ。バーナンキFRB議長はことし7月の議会証言で、FOMCメンバー予測の中央値(ベースライン)として、コアPCE価格指数が来年末の時点で2%から2.25%上昇するとみていることを明らかにした。そして、質問に答える形で2008年に「インフレはさらに低下する見通しだ」と付け加えていた。
つまり、1年以上にわたり目標を突破することを容認したわけだ。物価安定目標は設定しているが、柔軟に運営されている。FOMCメンバーの間では、その運営方法をめぐり意見の調整を進めているようにみえる。こうした中で、ラッカー・リッチモンド連銀総裁は、目標達成までの期間をより短くするため、金利の即時引き上げを主張、FOMCの3回の会合連続して、金利据え置きに反対票を投じている。
バーナンキ議長を中心とする主流派は、コアPCE価格指数が2%の上限を突破しているものの、景気が減速過程に入ったため、インフレ圧力が鈍化すると予想して、8月以降利上げを見送ってきた。その一方で、インフレが明確に「物価安定目標のレンジ」を突破しているため、インフレに対する臨戦態勢を継続しているわけだ。FOMCメンバーはインフレに厳しいタカ派色を強めることになる。
インフレは時間軸政策の後遺症
そもそも、FOMCメンバーが景気減速過程に入る中で、タカ派発言を強めざるを得なくなった理由は、「物価安定レンジ」を導入した当時の状況が関係しているようだ。グリーンスパン前議長は昨年11月の議会証言で、「物価安定レンジ」導入時の経緯を詳述している。前議長は「物価安定レンジ」導入のきっかけになったことについて、「日本が法定不換紙幣の下でデフレに陥ることを証明した。われわれはそれを避けるため、物価安定のレンジを選定した」と語っている。
このようにFOMCが導入した「物価安定レンジ」はそもそもインフレ防止が目的ではなく、デフレ防止を狙ったものだった。デフレを極度に警戒したFOMCは2003年6月の定例会合で、フェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を1%まで引き下げた後、8月の会合で「相当の期間、緩和政策を継続する」と表明。市場に超低金利が長期化するという見通しを植え付けようとした。日本銀行が量的緩和で実現した「時間軸政策」の米国版といえよう。
2003年8月のFOMCで、「相当の期間、緩和政策を継続する」と表明した時点で、メンバーが目にしていたコアPCE価格指数は同年6月分の前年同月比1.3%上昇だった。ただ、ここで注意しなければならないのは、最も精度が高いとされるPCEコア価格指数にも上方にバイアス(歪み)が生じているということだ。グリーンスパン前議長は2005年11月の議会証言で、「コアPCE価格指数でも0.5ないし1%ポイント上方に歪んでいる可能性がある」と指摘している。
FOMCメンバーは、2003年夏の会合で、コアPCE価格指数の歪みを最大限に見積もって、実際のコア価格指数が0.3%上昇と考えて、危機感を募らせていたことは想像にかたくない。米金融政策当局は日銀が陥った金利政策が効かなくなる「ゼロ金利制約」を極度に恐れていたからだ。
出遅れた利上げ
このデフレ警戒がFOMCメンバーをして「時間軸政策」の採用に踏み切らせる。しかし「時間軸政策」は供給力が強くディスインフレ体質の日本では、理にかなった政策だが、「消費過多」でインフレ圧力の強い米国では、副作用が強い。
ゼロ金利政策から量的緩和策定に深く関与した植田和男前日銀審議委員(現東京大学教授)は、時間軸政策について、「普通の中央銀行なら金利を上げ始めるような情勢になっても、しばらくゼロ金利を続けるという意思表示ないし約束を前もってしてしまうわけである」(「ゼロ金利との闘い」日本経済新聞社刊)と書いている。
植田教授の分析にある「ゼロ金利」を「FF金利1%」に置き換えれば、ほぼそのまま、FOMCが採用した「時間軸政策」に敷衍(ふえん)することができる。植田教授はさらに、「時間軸政策をあまり強い形で実施すると、金利引き上げが極めて遅くなり、結果としてインフレ率が適切な値を大きく上回って上昇するリスクを犯すことになる」(前掲書)と説明している。
FOMCが利上げに転じたのは「相当の期間、緩和政策を継続する」と表明した11カ月後の2004年6月30日だった。同日の会合で、FOMCメンバーが手にしていた同年5月のコアPCE価格指数は前年同月比1.6%上昇だった。心地よい水準とされる1-2%上昇の中間点を過ぎたところで、利上げの頃合いとの判断に傾いたのだろう。
FOMCの判断ミス
しかし、この緩和解除の時期をめぐりFOMCメンバーは、判断ミスを犯かしていた。時間軸導入時はデフレ阻止が目的だっただけに、インフレ防止には甘くなっていた可能性がある。統計には改定がつきものだということが、FOMCメンバーの念頭になかったようだ。
商務省がその後発表した2004年5月のコアPCE価格指数は前年同月比 2.1%上昇へと大幅上方修正されてしまった。FOMCが利上げを開始した時には既に、物価安定レンジの上限を突破していたのだ。同価格指数はその後現在まで25カ月にわたり継続して物価安定レンジの上限を上回ってきた。今年4月には2.2%上昇へと水準を上げ、さらに6月2.3%上昇、7月2.3%上昇、そして8月には2.5%上昇へと上振れしている。
8月のFOMCでの金利据え置きは、インフレと景気減速の狭間で、「際どい」(議事録)決断になった。バーナンキ議長がその直前の議会証言で提示したFOMC中長期物価安定レンジへの収斂(しゅうれん)見通しに基づき、「金融政策の累積的効果、その他総需要を抑制する複数の要因を反映し、インフレ圧力は時間をかけて落ち着く可能性が高い」(FOMC声明)と判断されたようだ。
9月のコアPCE価格指数は前年同月比2.4%上昇へとやや鈍化。10月のFOMC議事録は「インフレ高進リスクは極わずかだが後退した」と指摘している。ただ、物価目標レンジを上回る状態で、国民の間のインフレ期待が上昇する恐れがあり、FOMCメンバーは意識的にタカ派発言を繰り返すことになる。
タカ派発言は目標圏明示の代替措置
FOMCは法律により、「最大限の雇用確保」と「物価安定」の二重目標達成を義務付けられている。10月のFOMCでは市場との「対話」の一環として、数値を明示した「インフレ目標」のプラスとマイナス面について意見が交換された。議事録によると、メンバーは法律により規定されている二重目標との関係で、明示的な物価目標の導入は「複雑な問題」を惹起(じゃっき)するとして、継続審議とすることで落ち着いた。
明示的な物価目標を公開すれば、FOMCは2重目標のうち「物価安定」にしか注意を払っていないといった非難が議会で巻き起こるリスクがあるからだ。ただし、議事録によると、今回のFOMCの協議の過程で、「物価の安定が最大限の雇用確保と長期金利の落ち着いた推移の前提条件になる」との認識で一致している。
つまり、FOMCメンバーは政策策定に際して、2重目標の達成を同時に図ろうとするのではなく、一義的に「物価安定」を目標としているわけだ。コーン副議長は昨年5月に欧州中央銀行(ECB)が主催した金融政策に関する会議で、「金融政策を実施するうえで、インフレを理解し予測すること以上に重要なものは何もない」と言明。物価安定が最も重要なことを確認している。
そして、FOMCは最も重要な物価安定を達成するため、事実上の「レンジ」を選定した。2重目標を規定した連邦準備法の制約で、インフレ目標は明示できないものの、舞台裏では、メンバーの間で事実上の物価目標レンジが共有されている。この目標を明示できないため、FOMCメンバーは必要以上にタカ派発言を繰り返すことにより、物価安定目標達成への決意を強調することになる。これは、市場との対話で、物価目標を明示できないことに対する代替効果を狙っているようだ。