奏でる音楽の終わり。

赤と青のfermata1

フェルマータ。

奏でる音楽の終わり。
しかしそれは、便宜上の「終わり」でしかない。

赤と青のfermata2

例えば、こんな体験は無いだろうか?

お気に入りの音楽を聴いていて、
その音楽から離れたとしても、
頭の中で音楽が鳴り続けていることが
更に言うならば、
脳内に鳴り響く音楽に合わせて、くちずさんでいたり!

そう、音楽は終わらないのだ。

赤と青のfermata3

世界は音に溢れている。
終わらない音楽の中に居ると言うことだろう。

個としての音楽は終わらない。

終わるとするならば、出来れば穏やかに最後の時を迎えるときであろう。
いや、その後も無くなった個を弔う音楽が少々続く

赤と青のfermata4

そう、多分、肉体が無くなったとしても音楽は終わらない。

赤い血肉の鼓動という音楽は鳴らなくなるけれども
青い精錬した意識の音楽は続くわけだ。

もしかすると、今まで以上に多くの音に溢れているかもしれない。

赤と青のfermata5

夢から覚めるとき、
時々、聞いたことのない音楽が頭のなかを流れていることがある。

どこで聞いたのかは分からない。

時々、身体を離れた私が聞いてきた音楽だ。

となんとなく思う。

そしてその音も、同じ所をリフレインして、
ゆっくりゆっくり消えていく

終わるという感覚ではなく、
細く小さくなって聞こえなくなる。
という感じだ。

それはなんとなく終わってしまった。
であって、
終わり。
というわけではない。

赤と青のfermata6

そもそも、終わりというのはなんなのだろうと、考えると
終わりという概念の方が、幻なのかもしれない。

でもそれだとやはり

なんとなく消えていく

とか、

なんとなく続いている

という、なんとも微妙な感覚が残るから、
終わり。という概念が必要なのだろう。

だからこう。
形骸的な「終わり」というものを、丁寧に扱って
気持ちを切り替えて「始まり」
に向かうものなのかもしれない。


赤と青のfermata