映画とはデザートなのかーsuffering- | COMPLETE OF MEMORUNDAM

COMPLETE OF MEMORUNDAM

近況報告と映画と読書の知識の備忘録を整理していきます。

精巧な絵画や瓶のような美術品を思わせるような映画は叙事的な造詣である、また商業的に成功している映画は首尾一貫して荒唐無稽、だから苦悶が孕んだ葛藤が生まれるので問題提起や独自の作家性やメッセージ性やシンパシーを感じる行動や言動がある人間が描かれている「作品」が好きなのである。それというのは「人間」という不確かなものの魅力に憑り付かれてしまった「人間」の理性を伴わないような生活のための処世術としてできるものなのではないか。
 つまりは体系を体系たらしめるためにできる数字の0に似た概念であり、身も蓋もない押し付けがましく迷惑なものなのではないか。
 食事で言えばデザートの位置づけに映画はならなければいけないのではないかという自問が生まれる。生活において栄養摂取の「ついで」
に纏わり付く程度のものでなくてはならないのであって、「必要性」などあっては害にしかならない