量子とかそういう方向の話をみていきますと、
どれもこれも固定ではない可能性が考えられてくるわけですけれど、
そうやって考えていると、なんでもできそうなわけです。けれども、なんでもできてしまっても生活的には困ることもあるのかもしれません。
ある程度のルールがつくられていないと、すべてのことが予測不可能にも、なるかもしれないなと。
因果関係という仕組みが設定されてるおかげで、こういう場合はこうに対策をしたり、ああなってればそうなる可能性を推測できたりなど。
雨がふってれば濡れるとか、火がともれば燃えるとか、そういう当たり前と認識できること。
そういうふうにある程度の設定がないと、今日の雨にあたると燃えるとか、また今日は重力が弱めな日だとか
意味わからんくなってきます。
最近新機種が発表されたすいっちやぷれすてなどゲームはいろいろありますけれど、その各タイトルにおいても、やはりある程度のルール、設定がありまして、その各々の個性から面白味がうまれてくるともいえましょうか。
そんな感じにおもいました。
この設定というのは、この世界がつくられていく長い過程で、設定してきたというわけなんでしょうかね?わかりえないところではありますけれど、ずっとずっとの先代から繰り返し自己暗示?して設定してきた仕組み?
あとは、こういうある程度固定をすることができる設定がない状態で、意識や思考が現実をつくるという話になったとしたらですが、まぁたしかに非常にやわらかく変わりうる現実がみえてくるのかもしれませんが、ずっと、それらを意図しとかないとならなくなって大変な気もしたり、起きる出来事を設定して用意しておくのができないと、ネタバレを意識した思考を保ったまま、生活していくみたいな?(笑)
ゲームや物語だとしたら、少々面白味にかけるかもと。
なので、目の前の現実が変わらなくてしんどいっていうことはあるけれど、その、ある程度の固定ができる機能?仕組み?があるということは、実はけっこう便利なのだと感じています。
もちろん、意識や思考が影響を与えるとおもうのですが、その現れ方、使い方というところでしょうか。仕組みの活かされ方。
ゲームの設定、仕組み、その原理原則を知っているかいなか。それに気づかず振り回されるのか、気づいて活かすのか。
そういえば、ゲームには攻略本、サイト等ありまして、それらを参考にすることで、より面白味が増すというパターンもあります。けれども、それはいい具合にというところ。攻略を見た途端にそのゲームがクリア画面に移行してしまうってとこまでいったなら、それはどうなんでしょうかと。(笑)
やはり過程も面白い楽しめるものですから
漫画やアニメ等、各物語についても、その話の過程を経て、より楽しかったり、より泣けたりとか
感情を揺さぶってくれるのでしょう。