自分が楽しいことやりたいことをひたすらやるのが自然な努力のようになり、、みたいな話ありますが、やはりそうなのであります。
本来、人はそれを勝手にするようになってたんかもしれません。
そもそもそういうもんだったのかも?と。
けれど、現代はなんらかの尺度、常識などといった枠、など?
やりたいことが浮かんできてもそれをおさえざるを得ないような状況、環境がつくられやすいというのがありそうです。
そんな自然な欲求をおさえ続けていると、自分が心からやりたいことというのがなんなのかよくわからなくなる。ということがあります。
やりたいことを探すという意識的な作業となったりしてしまう。
けれど、本来は自然にそこは感覚するのかなーなんておもいます。思考でこねくりまわしてやりたいことをこうでこうだからやりたいことなのだとする
というよりか、人生の流れの中で、偶然か必然かめぐりあったやりたいことをただやってみたいと感覚する。
そもそもは、そんな感じなんしゃなかろうか?とおもうことがあります。
なので、やりたいことをやるのが
作為的な努力を上回るというのは確かにそうなのだという仕組みはあるようなので、
ならば、やりたいことを感ずること。
わきあがってくること。
そんな感覚を磨く、センサー?を磨く。