外に楽しさやおもしろいを求めるのか

ウチからそれらが滲み出るか


外に求めるものは、一時的になりやすいという仕組みがあります。

新たな刺激に対して、一時的に楽しくなります。


けれども、そもそも内から楽しいが滲み出るような考え方、生き方、在り方が乏しかったとき、どうなるのか


内からというところでみてみれば、

なんでも楽しめない在り方をしている人は、なんでも楽しめない傾向にあり、


なんでも楽しめる在り方にある人は、なんでも楽しめる傾向にあるようです。



無理して楽しみを見出すとかそういうのはまた違う話になってくるので、そこをふまえるとその限りでないともいえますが。


それでも、自ら主体的に楽しむのか、その在り方?みたいなところ

そこらへんが、どうなっているか、で、同じ刺激に対してであっても感じ方や受け取り方は変化しうるのであります。