おもいを伝えるとか

気持ち、考えを伝える

など


自分以外になにかを伝えるということ。


これは伝わらない。多分。

そうなっている。


伝わった感じ。にならできる。

そして、その感じ。を限りなく自分の伝えたいことと近い似たことなら伝わった感じにできる。


伝えたいことが伝わらなくてもやもやしたことがある人はいると思う。

自分の伝えたいことをまるごと伝えようとすれば、それは無理がある。

それはまるごとには伝わらないようになっているから。


テレパシー的なのがあったり、考えをまるごと文章としてあらわすような物がでてきたとしても、それを解釈する側の価値観やものの見方、考え方などもそれぞれに違う。


ので、伝わらない。

というのが現実的に思う。


伝わるだろう、わかってくれるだろう。

そんなような気でいると、それがかなわないときなどにはひどくしんどい気分になるかもしれない。

そのままムキになって、無理矢理押し付けるようにわからせようとすれば、伝わった感じにもならず、どんどんやりたかったことから遠ざかることも有り得そうである。


それは、

伝わるはず。

という前提を持ってしまっているからともいえ、


それならば、

そもそも伝わることはない。

という前提を受け入れたうえで、


伝えたいことに限りなく近いような

伝わった感じ?

をやろうとすれば、いくらか気楽かもしれない。


気楽に構えられるぶん、より工夫して、

その伝わった感じを表現していける?かもしれない。