症状のみかた、こんな面でみることもできるという話である。
今回は、症状のみかたとして、借金というのを関連させてみてみる。
借金はもちろん借りてるので返すわけであるが、たまればたまるほど、その負担は大きくなりそうなものである。
症状もその借金返済と似ているところがある。
いままでの生き方や食べ方など、の積み重ねが蓄積しているのである。
それらを返済する過程でも症状があらわれることがある。
この借金であるが、新たに別のところから借りて、それを使って一時的に目の前の借金をやり過ごすということをしてしまう場合がある。
症状を無理におさえる。ということは、これに似ている。返済を一時的に回避しているような状況である。
たしかにその手段で一時的に回避可能である。
症状を表面的にはないもののようにみえるし感じるようにできる。
だが、このとき借金は返済しきったのではなく、残っているままというのがわかる。
症状の方でみれば、いままでの蓄積した生体異物等などが蓄積されたままである。
このパターンでそのまま続けると、借金はさらにふくれあがる可能性もありそうであり、結局、増えたぶんを返すのである。そうなれば、さらに負担は増えそうなものである。
症状もそんな感じにでみることができる。
症状を出すことによって返済するところをとめる。
蓄積はさらに余計に蓄積していく可能性があり、その増えたぶんの返済は、より負担が大きいものとなるかもしれない。
はじめは、軽い風邪症状だけで返済可能だったところをそれすら無視して、積み重ねてしまえば、いずれ大病といわれるものだったり、長引く痛みだったりにも派生していきかねないという感じである。
目先だけをみて、症状だけをないものとしようとすることは、結局、そのぶんが返ってくることにもなりかねないのである。