気のせいは気のせいである。

多くのことは気のせいである可能性もある。

ある痛みは気のせいかもしれない。

気のせいの不調なので気のせいで好調にもなれる。
気持ちでコントロールができる。
そういう可能性を考えることができるのである。

例えば、いつの間にかのぶつけたあとに気づいたり、傷跡に気づいたりした途端になんだかその部分の痛みを感じ始める。逆に気が他にそれているときにはそんなに痛くない。そんなことってのもあるもので。
気のせいというのは、気持ちと体の関連というのは、そういうものがあるのである。

ただ、そもそも気持ちのコントロールというのがコツがいったり、難しく感じてしまうことも多いし、しんどいときにそんなこと言われても大変だったりする。

加えて、現代では、人体にとって毒となりうる物事も多く、電磁波、添加物、食生活、空気中を舞う物質、人間関係、トラウマ、…いろいろ。、それらが、加わることで、余計に気持ちのコントロールが難しくなっているのが現実的なところといえる。

気のせいだから、気のせいなので大したことはないのだけれど、気のせいというのは大したことでもあるのである。

それでも、大したことはあるけれど、大したことはないというのも、表裏で言えることでもあるのである。

余計な要素が様々にある環境で、大変に思う場合もあるわけだけれど、気のせいという仕組みがあると知ってて理解しているだけでも安心のタネにでもなったらいいなと思うものである。
また、こういった気、気持ち、心などの目にみえない部分も人体に物質的な影響をもたらす可能性があると知っていることで、より施術やセルフケア、生活改善をするときの効果を高めることが期待できる。
知らないことで、気のせいにより、不調を強化してしまうこともあるが、知っていればそれの予防にもなりうる。



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