残された私達にも終わりが来ないように。 | KЯdays

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三年寝太郎のエキシビション・マッチ。


釜様の今の心境を読みました。
分かるけど分からない、分かりたくない、が私の今の心境でございます。

ハイ。
以前に綴った事が有りますが、私も『大事な人』をこの世からなくしておりまして。
かれこれ14年経つ。
この方がこの世から居なくなった最初の年は、スーパーで好物を見つけただけで涙ぐみ、道端で似た人を見つけては本人と勘違いして振り返ってしまったり、一緒に歩いた近所の商店街に行っただけで、思い出が蘇り、また涙ぐみ…を
繰り返しておりました。
後にも先にも1度だけなんだけど(今の所)、夜中にこの方に名前を呼ばれて『はーい。』って返事して、数秒後に『いや、もう居ないし!』と、我に返った事が有る。
半分寝てたから、所謂『寝ぼけていた』ってやつなんだろうけど、その声が余りにハッキリ聞こえたもんだから、暫く心臓が早鐘を打っていた。
『なんで呼んだ?!』と動揺しつつも、もう聞く事が出来ない筈の声が聞けた事が嬉しかったな。

うん。

そんな折、法事の相談…一周忌以降をどうしたらいいか(やるべきかやらざるべきか)、知人の姉さん(以下 姉御)に相談していたんだ。
故人が懇意にしていた人≠私が懇意にしていた人  な訳で、言い方悪いけど、『どこまで巻き込んでいいのか』悩んだ訳。
…豪勢に持て成せる訳でもないし、ただいたずらに呼んでも申し訳ない、と思ったのね。

これは、お葬式に関してもそうだったんだけど、生前本人が密葬を望んでいたからそうしようと思っていたんだけど(経済的にもちょっと厳しかった)、周りの反対を受けて、結局大々的に葬式をしたのね。
中学時代の友達で親御さんが葬儀屋さんの子が居て、暫く疎遠にしていたんだけど、連絡して事情を話したら快諾してくれて、その子のお父さんも(遊びに行った時に1度会ったきり)『心配しなくていいから。』と、困って居た事も即解決してくれて、しかも『これは気持ちだから。』と、バカでかいリムジンまで出してくれたん。

…ほんとお世話になりました。
結論としては、盛大に?送る事が出来て、私の気が済んだ(オイ)。

脱線。

でね、姉御曰く『法要はやれる内はやっておきなさい。十三回忌には(来ている人達もそれなりの年齢になり、他界したり外に出れなくなっている可能性大。)もう誰も来なくなるんだから。』とピシャリと言われた。

んな訳で、出来る範囲でやりました(雑)。

姉御の言う通り、十三回忌は諸事情で人を集める事はせず、ひっそりと私と私の友人でお墓参りに行くだけで済ませた。

…ちょっと寂しかったけど、その反面「もういいよね?」って思った。
私が貴方を思っていれば…生きてる限りは墓守は続けるし、それでいいよね?…ってね。

で。
何を言いたかったかと言うと、ますみんの追悼ライブを毎年やって欲しい。出来る限り続けて欲しい。

この前のライブで『ますみんの声はもう聞けないんだな。』って寂しく思ったりもしたし、《星に願いを》で号泣しそうになり、歯を食い縛った(辛かった)のも確かなんだけどね。

不謹慎だけど、ますみんが「もういいよ。」って思う位、偲びたいと思ってる。
…これは残された私達の我が儘なのかもしれないけど。

この場所に永遠を、星に願いを。
君に降る幸せに終わりがこないように

そう願う早朝なのでした。