先に書いた、『零戦の完成形は21型』の意味は、発動機の性能を十二分に活かし、長大な航続距離と軽快な運動性が零戦の本質であるとするならば、大戦末期、武装の強化や防弾装備の追加に伴う機体の重量増は軽快な運動性を損なうことになり、本来の運動性からはかけ離れ、零戦と呼称するもののもはや別の機体になってしまったからだ
零戦52型
零戦と同時期に開発され、主力機となったイギリスのスーパーマリンスピットファイア
後期型 MkⅨc
将来の改良を視野に入れ、余裕を持たせた機体設計で当初千馬力級の発動機を搭載していたが、大戦末期には武装を強化され、増加した機体重量は二千馬力の発動機で補い、主力機として大戦を戦い抜いた
1940年代の日本の工業力は長期の戦争を継続できるほど近代化されていなかった
そんな国産の航空産業に、中島飛行機の小山、三菱重工の堀越、川西航空機に菊原と言った世界に通用する天才達がいた
この天才達の手がけた飛行機は、軍部を勘違いさせるほどの性能だった
天才がその才能を発揮したことで軍に勘違いをさせる
天才ゆえになのだろうか?
今年は終戦80年
いろいろと思慮する8月
さて、キャンプ場に戻るとしよう

