国道19号線を名古屋方面へ向け南下すること約2時間
阿寺渓谷の入り口に駐車場があって、そこにバイクを停める
阿寺渓谷はその名の通り阿寺川が形作ってきた
御嶽山の火山活動で造られた火成岩の山を、長い年月をかけて阿寺川の流れが侵食してV字型の峡谷となった
阿寺川河口部はエメラルドグリーンの水の色
徳川幕府最初期、幕藩体制が確立して乱世から治世へと移行すると、江戸をはじめとした都市建設が日本各地で興り、木曽谷は良質な木材の供給地となった
以降100年、木曽川周辺は伐採でかなりの広範な地域が荒廃し、資源(特にヒノキ)が枯渇しかける事態となる
18世紀、山林の危機的状況を重く見た木曽を直轄領としていた尾張藩は、資源保護のために『停止木(ちょうじぼく)制度』を設け、木曽五木(ヒノキ、サワラ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキ)の伐採を禁止し、ヒノキに至っては『木一本、首一つ』と言われるほど厳重に管理され、倒幕維新後は皇室の御料林(国有林)になった
阿寺川河口には大正の世に施設された森林鉄道の遺構があり、近くの中央西線野尻駅に乗り入れていたという
木曽の産業基盤であった林業
その林業を支えた木曽の森林鉄道路線の総距離は400kmを超えたそうな
そんな森林鉄道も1960年代の日本に興ったモータリゼーションとともに、木材の運搬手段は鉄道から自動車へと移り廃線となってゆく
現在では上松町の赤松自然休養林に、赤沢森林鉄道がとしてその面影を遺している
続



