三才山トンネルを越えたら雲が多かったものの、上田城跡に到着すると青空が広がりつつあった





二の丸橋を渡り園内へ

ソメイヨシノは見ごろ


かつてこの橋の下を上田電鉄の電車が走っていた




現在は別所温泉への別所線しか残っていないが、堀には真田傍陽(さなだそえひ)線の軌道が敷かれ、堀の中にはプラットフォームの跡も遺されている



今回の目的は花見なのでそれは次の機会にしよう



先に進むと、東虎口櫓門が見えてくる



内堀を右手に左手には当時千曲川が流れていた


現在の上田城を象徴する門だ


真田昌幸が造り徳川の軍勢を二度退けた『真田の上田城』は、関ヶ原の決戦後徳川によって徹底的に破却された




関ヶ原で徳川方に付いた信繁(幸村)の兄信之は、関ヶ原後上田と上州沼田の所領を安堵され、上田城の再建を幕府に申請していたが、北信濃の重要拠点である松代への移封を命じられる




一般的な認識だと「上田城」=『真田の城』だが、現在の上田城の姿を造り上げたのは、信之移封後に隣りの小諸から1626年に上田へとやってきた仙石忠政

本丸、二の丸、三の丸に堀、土塁や石垣を整備し、二つの櫓門と七つの隅櫓まで築いたところで、1628年忠政の死と共に城の再建は中断された


現在の上田城の姿は仙石忠政が造り上げたのだが…

上田市もそのことを敢えて触れていないようだ






門を潜り、正面に見えてくるのは真田神社






立川文庫の真田十勇士や、故池波正太郎の真田太平記


現在だとゲームの戦国無双や戦国BASRAの真田幸村だろうか