日差しもなく微妙な春の安曇野
春にしては寒く、冬にしては暖かい
あぜ道のヒメオドリコソウ
とある説によると、雑草とヒトが呼ぶ植物達は、
『今、そこに存在しているところ(根を張っている場所)が彼らにとって居心地の良いところ』らしい
人間に踏まれ、トラクターに踏まれ、あぜ道の草刈りにあっても、根が無事なら彼らはしぶとく生き残る
人に置き換えてみよう
雑草にとっての根とは、人それぞれの精神や心、或いは生きていく上で譲れない信条やその人にとっての道理・道徳だ
はたから見れば首を傾げるようなことでも、本人とって生きていく上で欠かすことのできないモノならば、他人からどう思われようと気にすべきことではない
また、自分の考え方、やり方、生き方と違うから『彼、彼女は変』とする考えも、思うのは仕方のないことだが、あからさまな拒否はすべきことではない
頭の天辺からつま先までブレない芯でも通っていれば強くなれるのだろうが…
他人の正義は必ずしも自分にとっての正義とはならない
他人の正義(悪意)なんて雑音や戯れ言として聞き流せれば良いがなかなかそうはいかない
強くなるにはそれなりの経験も必要だしな
日当たりの良いところにあるソメイヨシノの蕾の先っちょが赤くなっていた
週末は三分咲きくらいになっているだろうか…


