神風特別攻撃隊 敷島隊の戦果は、大本営発表のラジオ放送とともに新聞でも大々的に報じられ、関は軍神と持ち上げられ、関の母サカエもまた持ち上げられた



が、日本の敗戦とともに価値観は180度変わり、世間はサカエに辛く当たる


ほんとうに見事な掌返しなのだ


それまで草餅の行商で生計を立てていたものの、その行商も立ち行かなくなり、知人の紹介でとある中学校の用務員となる


なんとか生活できる薄給でも、彼女は手を抜かず、生徒達の給食を賄い、職員室は常に清潔に保たれていた


救いと言えるかどうかはわからないが、生徒達からは『日本一の小使い(用務員)の関おばさん』と、慕われていたという



昭和28年11月9日

サカエは用務員室で息を引き取った

享年57


『せめて行男の墓を』


その願いはついぞ叶えられることはなかった


国のために散華した者に、当時の世相は墓を作ることすら許さなかったのだ



現在は愛媛県西条市の楢本(ならもと)神社に敷島隊の慰霊碑があり、10月25日に慰霊祭が執り行われている