ルートイン伊勢を10時にチェックアウト

Google Mapsの言う通りにひたすら一般道を長野に向かう

名古屋市街地を避け、国道19号線に入る

8時間後には安曇野に帰還


次の日、旅の仕上げとして諏訪大社へと初詣


なぜに諏訪大社なのか?






諏訪大社 下社春宮 下馬橋
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御祭神が建御名方神 大国主の息子(次男)というのがその理由だ







春宮
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葦原中国(あしはらなかつくに)平定という高天原の領土拡大政策は、出雲の国にもやって来た







拝殿
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春宮はこんな小さい社にも御柱が立つ
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高天原からやって来た国譲りを促す使者は二人 武甕雷(たけみかづち 茨城 鹿島神宮や春日大社の主祭神)と経津主(ふつぬし 千葉 香取神宮や春日大社の主祭神)に対し、大国主は二人の息子 事代主命(コトシロヌシノミコト)と建御名方命(タケミナカタノミコト)に任せると言った





諏訪大社 秋宮
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事代主は父の意を受け(ていたとされ)、国譲りに同意した






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一方の建御名方はこれを拒否

武甕雷に対し、力比べをして勝った方の言う通りにしようと提案する(この勝負が相撲の起源とも言われている)





秋宮のさざれ石 (さざれ石は君が代の歌詞にもある)
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出雲国風土記では御穂須須美命(ミホススミノミコト)という名の神が建御名方と目されていて、古事記では出雲国の武力の象徴とされる


が、

自慢の武力も武甕雷には通じずに建御名方は敗北した



秋宮の境内社 鹿島社
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 出雲から諏訪まで逃げてきたのち、諏訪から一歩も出ないことを誓って赦され、諏訪大社に祀られることと相成った…

というのが古事記による伝承



記紀神話は勝者の、しかも出来事の後に加筆修正された伝承だ

中には事実もあろうが『勝者の都合のいい真実』である以上、鵜呑みにはできない






下社秋宮から上社本宮へ

大きな鳥居のある東の参道ではなく、南の参道から

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布橋と呼ばれる木造の渡り廊下を歩き
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旅の無事を謝しつつお参りし、
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おみくじを引いてみた
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後ろ?

どーゆーことだ?



本宮から南へ

茅野市にある上社前宮
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今でこそ上社、下社はひとつであるかのようになっているが、実は中世以降上社と下社は対立を繰り返してきていた



拝殿
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建御名方命が上社に祀られ、その妃である八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)が下社に祀られる
(蛇足 諏訪湖の御神渡りは、建御名方命が八坂刀売命に逢いに行く道筋だと言われている)

現在のように一体となり、協力し合うのが本来のありようのはずが、中世以降、上社と下社とが争うようになった


争いは結局のところ、天皇家や出雲の千家・北島家に並ぶ古い血統を絶やしてしまったのだ

千家や北島家のように、並び立ち、存続を第一に考えればまた違った未来があったのかもしれない…









さて、長々書いてきた旅の日記も最終回


宿泊費 23500円

食費 15764円

土産代 8445円

車に関する費用 ガソリン代 駐車料金等27296円


およそ8万円の旅費
宿泊施設を利用しなかったらさらにお安くなったが…

手足を伸ばせる風呂に入り、ベッドの上で寝て、旅先の美味いモノを食す

最終日の宿泊はともかく、出雲での宿泊は良か宿泊であった


長々とお付き合いいただき
ありがとうございもした