1月4日 朝から良い天気 
 
Google mapsの案内で姫路城を目指す

最短距離での案内だと思うが、軽自動車でもすれ違えない狭い路地裏の道を行けと言う

効率優先の0か1の二進法的な思考だな

大通りの案内表示を見ながら行くことにした



見事な青空を背景に、堂々たる威容で姿を現した国宝姫路城
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白鷺城とは言い得て妙
  
白い壁が青空に映える

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早速中に入る


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姫路の城主は1333年から赤松氏
室町時代に一時山名氏が城主になるが、応仁の乱で赤松氏が領国を回復


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信長が台頭したころには赤松氏の一族である小寺氏が城代となり、さらにはその重臣である黒田氏が城を預かっていた

1580年(天正8年)黒田官兵衛孝高は西国攻略を急ぐ秀吉に城を献上

以降姫路城は西国に睨みを効かす要衝となる


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現在の姫路城の基礎を築いたのは池田輝政公
西国将軍、姫路宰相と呼ばれる名君でもある

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吉川英治著 宮本武蔵

関ヶ原に幼馴染みの本位田又八と共に西軍に参した新免武蔵(たけぞう)

夢は戦さと共に破れ、故郷に戻ったものの関ヶ原の敗残兵はお尋ね者
たちまちに捕縛されてしまう

沢庵和尚の計らいで姫路城天守の開かずの間に、大量の書物と共に三年間幽閉され、野生児のような性格を改め自ら教養を身に付けるたけぞう

三年後、沢庵和尚と共に目通りを許した輝政は、新免武蔵(たけぞう)から宮本武蔵への改名を許し、路銀と衣服、大小の刀を与え、武蔵は武者修行の旅に出る…


足軽とは言え関ヶ原の敗残兵
その罪を赦し、教養と衣服と路銀、あまつさえ刀を与える度量の大きさと深さ

武蔵の剣への道を歩むそのきっかけを作ったのは、物心の心(精神面)に於いて沢庵和尚であり、物(具体的な必要な道具や金)に於いては池田輝政だったのだ


と、まるで史実のように書いてみたが、
『あくまで吉川英治の描いたフィクションの宮本武蔵』
である