1月4日 朝から良い天気
Google mapsの案内で姫路城を目指す
最短距離での案内だと思うが、軽自動車でもすれ違えない狭い路地裏の道を行けと言う
効率優先の0か1の二進法的な思考だな
大通りの案内表示を見ながら行くことにした
見事な青空を背景に、堂々たる威容で姿を現した国宝姫路城
白鷺城とは言い得て妙
白い壁が青空に映える
早速中に入る
室町時代に一時山名氏が城主になるが、応仁の乱で赤松氏が領国を回復
信長が台頭したころには赤松氏の一族である小寺氏が城代となり、さらにはその重臣である黒田氏が城を預かっていた
1580年(天正8年)黒田官兵衛孝高は西国攻略を急ぐ秀吉に城を献上
以降姫路城は西国に睨みを効かす要衝となる
現在の姫路城の基礎を築いたのは池田輝政公
西国将軍、姫路宰相と呼ばれる名君でもある
吉川英治著 宮本武蔵
関ヶ原に幼馴染みの本位田又八と共に西軍に参した新免武蔵(たけぞう)
夢は戦さと共に破れ、故郷に戻ったものの関ヶ原の敗残兵はお尋ね者
たちまちに捕縛されてしまう
沢庵和尚の計らいで姫路城天守の開かずの間に、大量の書物と共に三年間幽閉され、野生児のような性格を改め自ら教養を身に付けるたけぞう
三年後、沢庵和尚と共に目通りを許した輝政は、新免武蔵(たけぞう)から宮本武蔵への改名を許し、路銀と衣服、大小の刀を与え、武蔵は武者修行の旅に出る…
足軽とは言え関ヶ原の敗残兵
その罪を赦し、教養と衣服と路銀、あまつさえ刀を与える度量の大きさと深さ
武蔵の剣への道を歩むそのきっかけを作ったのは、物心の心(精神面)に於いて沢庵和尚であり、物(具体的な必要な道具や金)に於いては池田輝政だったのだ
と、まるで史実のように書いてみたが、
『あくまで吉川英治の描いたフィクションの宮本武蔵』
である






