出発は5:20
ざっくりとだが、こんな故事に由来するようだ
部屋を出、少し明るくなってきた夜空を見上げながら安曇野を走る
風が吹いていてあまり寒くない…
放射冷却は風が吹いて成立しなかったようだ
それも山を越えるまでの話しで、三才山トンネルを抜けて鹿教湯(かけゆ)温泉まで下りても気温は標高の高い三才山トンネル付近の気温と変わらず、上田 佐久地域に入っても気温に変化はなかった
上田付近でこれなら、鳥居峠はもしかして氷点下なのか?
気温が低いと、身体が硬直して思った以上にバイクを操れない
慎重な運転になる
鳥居峠の気温は2度
路面の凍結はなかったが、峠を越えた途端に日の出で、視界がホワイトアウトした
車とバイクの違いはバイザーの距離にある
目から遠い位置にバイザーを下ろす車は太陽の眩しさを直接遮る
バイクだとヘルメットのシールドかサングラス、最近のヘルメットだと内蔵されたサンバイザーを下ろすタイプのヤツもあるが、距離が近い
なので直接太陽の光が目に当たる
視界は白く、ほんの2〜3m先の路面しか確認できない
今迄にないゆっくりとしたペースで下る
後続車も対向車もないから安心してゆっくりと下る
嬬恋パノラマラインという標識を見つけ左折する
程なくして愛妻の丘に到着
出発してから約二時間
午前7時
標識が目に留まり、
2、3は普通に同僚とそんなこと話しているし…
4、5は結婚したことないからな…
できなくなるのかな?
北軽井沢は霧の中
この辺りの吾妻や嬬恋の地名はヤマトタケルの東征の故事に由来する
ヤマトタケルが東征の際、日本書紀では相模(三浦半島の横須賀)から上総(房総半島)に渡る際、海の神様が邪魔をして海を荒れさせ、古事記ではなにやら失言をして海の神様を怒らせてしまったそうな
妻である弟橘媛(おとたちばなひめ)は、夫を助けるために入水して海の神様を鎮めた
そのことを知ったヤマトタケルは東征の帰路、鳥居峠に立ち、
「吾嬬者耶(あづまはや)」
と、弟橘媛を追慕したという
ざっくりとだが、こんな故事に由来するようだ
日本書紀では日本武尊と表記し
古事記では倭健命
古代史の英雄でありながら実在したのかは疑問があり、古事記と日本書紀では描写のされ方も微妙に違いのあるヤマトタケル
かの時代に複数いた英雄を、ひとつにまとめた英雄譚だとする説もある
なんにせよ、愛妻家であったと信じよう
続





