ヒトは生存本能から、他者を虐げ自分が優位に立とうとする


太古の昔、そうしなければ生きていけない弱肉強食の苛酷な状況にあった


文明が発達し、現代の日本に住まうのならば、大多数の人はごくごく普通に暮らしていれば生命の危険はない

たくさんの病気を克服し、技術で災害を減らしてきた
死が当たり前だった状況から脱したのだ

生命の危険を脱したものの、ヒトには生存本能(欲望)がある

欲望を満足させる過程と、達成された結果には強烈な快感と快楽が伴う

欲望(本能)を満足させるのに、ヒトの脳は進化の過程で快楽や快感という報酬を出すようになった


序列を作り、その欲望を満たし、他者よりも優位に立つと、脳は幸福感を感じるという

どういうことか?

自らの行為を正当化し、その行為は正義であり、正義の執行にはなんの呵責も感じない
そして正義を執行中の脳は快楽中枢を刺激され幸福感を感じる

他者をいじめる行為はいじめる側にとって、

“正義の執行”

であり、悪いことをしたとは思っていない

だから罪悪感がない

いじめた側に反省が見られないのは当然のことだ
悪いのはいじめを受けた側で、自分は正義の味方であり、責められる理由がわからないのだ


「基本的に人の心の痛みは、その人にしかわからない」


全く同じ心の痛みを感じることは絶対にできない

痛みがわからない上に、正義の味方だからどんなに心がキズつこうがおかまいなし


そしてその正義は増える

学校でのいじめでは、

“みんなやってたという数の優位”

が出てくる

一人の児童、生徒が正義を主張すると、一人の正義が二人になり、グループとなり、クラス全体になる

一人ならまだ対抗できる

二人、三人、そしてグループになるともう対抗は困難だ
あとは数を頼みにエスカレートし、抗えばさらにエスカレートする


某タレントがTV番組内で言っていた

「いじめてなんかいないんだよ、やめろよーとか言いながらそいつも嬉しそうでさ オレらがイジルのもまんざらでもなさそうだったし…」

いじめをいじめと理解してない者の言いようだ

自分からしたらクズそのものの発言だ

自分を守るためにあえて甘受する者もいれば、抵抗する者もいる
笑う者、泣く者、黙る者…

そして、

最悪の選択をする者…


最悪の選択をしたとしても、いじめる側には悲しいかな響かない…

最期の抗議、抵抗かもしれないが、イジめた側の心に少しでもキズつけることができればいいが、残念ながらイジめた側には罪の意識は無い

第三者から見れば酷い内容のイジめも、イジめた側の心は痛んでいない

繰り返すが、正義の執行をしていて、そしてその行為には快楽が伴う

悪いと思うはずがない



社会に出ると、規律のある組織ならばハラスメントの教育を受ける
そしてハラスメントの定義とは、

「受けた者が不快に感じたらそれはハラスメント」

不思議に思うのは、なぜそれを学校でやらないのだろう?

大人にならないと理解できないことなのだろうか?



今 イジめられているキミへ


イジめているヤツらにまともな言葉は通じないし、届かない

その場から逃げよう
そこにとどまる理由はない

キミ達が死んでしまっても、イジめたヤツらが十字架を背負うことはありえない

自分の生命は自分のものだ

イジめたヤツらのために抗議として散らすものでは断じてない!


死ぬな!

生きろ‼︎