伊豆半島のジオパークの認定を世界ジオパークネットワークが保留した
食べるための狩りではなく、スポーツ感覚や経済活動で資源が無くなるまで狩猟をする欧米人
理由のひとつに伊東市川奈、富戸のイルカ漁があげられている
伊豆半島は地殻の活動が地表面に顕著に露出している土地だ
伊豆半島が本州にぶつかったことで日本アルプスはできた
だからこそのジオパークだと思っていた
イルカ漁は地域の文化であり、地殻の活動にはなんの関係もない…
他にも幾つか理由があがっていると言うが…
太平洋の鯨の数を激減させたのは、他ならぬアメリカだ
19世紀、クジラから取れる油はアメリカにとって貴重な外貨獲得手段であった
元々沿岸捕鯨だったのが取り尽くし、クジラを求めて太平洋を横断して江戸末期に日本沿岸に到達、捕鯨船の為に日本に開国を迫り、日本近海で捕鯨を開始する
資源を枯渇するまで取り尽くすやり方が、日本の古式捕鯨に影響を及ぼすのに時間はかからなかった
和歌山県太地町の歴史で忘れてならない悲劇
「大背美(おおせみ)流れ」
日本の近代捕鯨史上最悪の海難事故
明治11(1878)年12月24日
この年は、太地の鯨方にとって不漁の年
くじらに縁の無い年であった
暮れの押し迫ったこの日、子連れの大きなセミクジラ(背美鯨)を発見
その巨体と子連れであることが捕獲の是非の議論となった
(太地の古式捕鯨では子連れの鯨は捕獲対象ではない)
が、年末の支払いに窮する漁民の声もあり未明に捕獲が決定
午前4時、10歳にも満たない少年から老人までの総勢184名が荒れた海に出漁する
セミクジラは子連れであることに加え、巨体を利した凄まじい抵抗をし、沖合へと逃げる
翌朝に鯨は仕留めたものの、人力で持ち帰ることは到底無理なほどの大きな鯨であった
持ち帰ることを断念し鯨を離したものの、沖合の黒潮の流れに乗ってしまった船団は岸から離れる一方となった
一昼夜に渡る捕獲に力を使い果たした男達に、さらなる追い打ちとして海は、
荒れた…
遠く、伊豆七島神津島に流れついた8名をはじめ、
生存者はわずか13名とされ、100名を超える犠牲者を出し、壊滅的な被害を受けた太地の鯨方と古式捕鯨は終焉を迎えることとなった
この日本捕鯨史上最大の惨事も、紀州の沖合で捕鯨を始めた欧米の捕鯨船団に原因があると言われている
そもそも太地の古式捕鯨は、回遊コースからはずれ、偶然沿岸に近づいてきた鯨を捕獲するもので、資源の枯渇には到底関与しない
しかし、日本近海で捕鯨を始めたアメリカの捕鯨船団は違う
枯渇するまで捕獲する
20世紀になり、第一次大戦以降は軍事目的の戦略物資として鯨油はさらに価値を増す
その成分のひとつにグリセリン(爆薬の主原料)があるからだ
当時の彼等にとって、選民意識から白人以外の生き物は神からの恵みであり、神に感謝はしても、恵みそのものを与えてくれる生物に対して敬意はおろか感謝すらしない
19世紀の作家からその考え方を垣間見ることができる
例えばジュール・ヴェルヌ
「ふしぎの海のナディア」の原案ともなった著作、
「海底二万マイル」
ネ
モ船長がクジラを一方的に殺す場面がある(ネモにはそうする理由があるのだろう)が、食べるならまだしも一方的な虐殺にしか思えず、少なくとも自分にはそれが正当とは思えなかったまた、「十五少年漂流記」の中で、少年達が投票で自分達のリーダーを選ぶという場面では、「黒人の少年モーコー」には選挙権が無いと言っている
ヴェルヌの生きた当時のフランスには、黒人に選挙権の無い証左である
(ただし作中で他の少年達がモーコーを差別することはない、またモーコーも有能な少年として描かれている…)
食べるための狩りではなく、スポーツ感覚や経済活動で資源が無くなるまで狩猟をする欧米人
対して
日本各地で鯨を捕獲して生計を立てていた漁村では、慰霊碑を建て、特に子連れや、捕獲後妊娠していることが判明した鯨は非常に手厚く葬っている
土佐ではそういった鯨に対して七日間の供養が行われ、伊予(愛媛)では寺の過去帳に戒名のある鯨が眠っている
鯨に関してこんなことわざがある
鯨一頭七浦潤う
鯨が近付けば、鯨に追われイワシの大群がやってくる
それだけでなく、イワシの群れを狙い、他の大型魚もイワシと共にやってくる
また鯨本体は、加工用のヒゲ、食肉だけでなく、骨すら余すところなくすべて使う
そして鯨を捕獲した者達が鯨を独占することはない
近隣の浦(漁村)に豊穣の神として、またはエビス様の賜り物として分け与えられた(エビスは漁業の神様)
神の恵みとして、鯨をただの利益の対象としかみていなかった欧米人
それが最近の反捕鯨団体の言い分は、
「日本の捕鯨、イルカ漁は伝統文化ではなく、利益を得るためのビジネスだ」
と、のたまっている
まさかジオパークネットワークの中にまでそんな思想の持ち主がいるとは…
ジオパークと捕鯨となんの関係性があるのだろうか?